日本にもっと、自由な転職を。「他人に憧れるような会社で働くことは、誰を幸せにするのだろう?」
「他人に憧れるような会社で働くことは、幸せに必ずしもつながらない。」
最近、テレビやネットのnewsを見て、そう思う機会が増えた。その背景にあるのは
「会社で働くことは、誰を幸せにするのか」
という本質的な問いを今、日本人全体が突きつけられているように感じるからだ。
どういうことだろうか?
▼『退職届』を書いてスーツに忍ばせた、大企業人事の話
以前、大企業の人事の方と話したときに、印象的な話があった。
その方は、新卒から10年間、ITメガベンチャーで働き、その後、ご家庭の事情で日系の古くからある企業に転職した。彼は言っていた。
「転職した当初、仕事が面白くなさすぎて、毎日辞めたいと思っていた」
社内で変革しようとしても、多すぎる承認フロー、完全にフレーム化された仕事……新卒で働いていたベンチャーと比べたとき、働き方が肌に合わなかったらしい。そして彼はある朝、筆をとり、『退職届』を書き、スーツの内ポケットに忍ばせて出社した。
だが、驚いた。
なぜなら、その日から仕事が急激に「面白くなった」からだ。というのも、「いつでも退職してやる」という覚悟をもった途端、社内でも言いたいことが言えるようになり、上司のくだらない付き合いにもNOと言えるようになったからだという。
僕は彼の話を聞いたとき、「本質を表している」と感じた。
というのも、仕事というのは、「自分はこの場所で絶対に生きないといけない」「自分はここでしか生きていけない」と思った途端、めちゃくちゃ窮屈なものになる。あるいは「自分は外で生きていく価値がないんだ」って思ったら、急激に自分の存在自体を疑問に思ってしまうようになる。
でも、反対に「自分はいつでも辞められる」という覚悟が決まれば、仕事に前向きになり、明らかにパフォーマンスもよくなる。何より「自分に小さな嘘をつく回数」はグッと少なくなる。
そして、最近、テレビのニュースを見ていて感じたことは同じ構造だったのだ。
▼日大のアメフト部の件で感じた、「悲しさ」
先日、日本大学のアメフト部のタックル事件があった。僕はあの話を聞いたとき、本質的には上の人事の話と「全く同じ構造だ」と感じた。
だって、もし彼が「いつでも自分は、日大のアメフト部なんて辞めてやる!」「その気になったら他の大学のアメフト部にいってやる!」って思えていたとしたら、あんな悲しいことは起きなかったと思うからだ。
でも、実際はそんな風には思えなかった。
そりゃそうだ。だって、小中高大と部活だけを一生懸命頑張ってきた人にとって、部活って自分の全てだからだ。「自分の全て」であるものを捨てるなんて簡単にはできない。その気持ちも痛いぐらい、よくわかる。だから部外者が「やめちまえ」なんて言っても、それは空虚に終わる。
もちろん、「組織は自分の全て」と思うこと自体は、いい側面もある。組織が正しい方向を向いているときはいい。一体感も生まれるだろう。
でも、反対に、会社や組織が間違った方向を向いたり、不正を言いだしたとき、そのとき、組織は人を殺しはじめる。中にいる人はNOなんて言えない。だって「会社=自分の全て」だから、自分に対してNOなんて誰も言えない。こうやって組織は人を蝕んでいく。
今回のケースはまさにその典型例だったと思う。
だから僕は、人材マーケットの人間としてこれまでずっと、若い人や、将来を担う学生さんには、会社はお前じゃないんだよ。自分じゃないんだよ、ってことを一貫して伝えてきたつもりだ。今回書籍を出させていただくことになったが、この本は、この延長線上にある。対象は学生さんではない、全ての働く人に向けた文章だ。むしろ、大人の方が感じるものがあると思う。
▼「リアリティ」がある、キャリアデザイン論
今回の本を書く上で、一番大事にしたことがある。それは
「リアリティがあること」だ。
多くの転職に関する本は、一部の「圧倒的な成功者」や「極論」で埋め尽くされている。たとえば、「好きなことだけやれ」とか「とりあえず、独立してみろ」などだ。
でも、本当にそうなのだろうか? これは、本当にリアリティがあるのだろうか? 僕にはそうは思えない。だって、自分自身が初めて転職したとき、そんなアドバイスは全然心動かされなかったからだ。
もっと「リアリティのあるアドバイス」が欲しかった。
僕が初めて会社を辞めると決めたとき、正直、めちゃくちゃ迷った。頭ではこうすべき! と思っていても、なかなか勇気が出ずに、寝れない日々が続いた。当時付き合っていた彼女にも弱音を吐いて、叱責されたりもした。めちゃくちゃダサい。
でも、それが「仕事選びのリアリティ」ではないだろうか?
仕事選びって本当は、キラキラしたカッコイイ部分だけではないはずだ。
「転職して給与が下がったらどうしよう」
「恋人やパートナーは反対するだろうか」
「お世話になった上司にどう言うべきか」
そんなウジウジした気持ちを、まるっと含んだもののはずだ。だったらその部分まで含んだ「アドバイス」が誰にだって必要なはずだ。
▼物語形式で進む、ストーリー
『転職の思考法』という本は物語形式で進む。主人公である青野は、「勝負の分かれ目」ともいえる年齢を迎え、どうキャリアを形成していくべきかを真剣に悩んでいる。実際の仕事場で起きうる、上司との衝突、同僚との駆け引き、彼女からの反対など、「リアルな悩み」に生き、悩んで、答えを出していく。
つまり、この本は、どこかのスーパースターではなく、僕たちのための本だ。僕が転職をしようとしていたとき、「もっと早く教えてほしかった」「こんな本があればいいのに」というすべての知識を詰め込んだ。まさに「あのとき、本当に読みたかった」リアリティのある本だ。
僕は普段、「あいつはAIなんじゃないか?」と同僚に言われるぐらい、どちらかというと論理的な人間だと思う。でも、たまに、自分でもびっくりするぐらい猛烈に感情的になるときがある。自分ではそのタイミングを知っている。それは
本来は「人を幸福にするため」に生まれた組織が、
「人を不幸にするため」に使われているのを見たとき
だ。だって、そもそも「会社」なんてものは幻想に過ぎず、実存しない。最近お会いした、田端信太郎さんの言葉を借りると「ただの概念」だ。でも、その「概念」が誰かを殺すためのツールになっていたとしたら、そんな腹立たしいことってあるだろうか?
そう思うと、猛烈に腹の底から悲しみと怒りに近い感情が湧いてくる。
▼組織のリアリティ
でも、「組織のリアリティ」も知っている。(自分自身、50人近い組織をマネジメントしているから、よくわかっているつもりだ)
たとえば、今から全ての会社が「自由でのびのびになる」なんて、はっきり言って夢物語だ。100年はかかる。自分が生きている間には不可能かもしれない。でも、だとしたら、方法は1つしかないじゃないか。
「概念に殺されないために、ちゃんとした防具を僕たち自身が用意すること」
そのための防具と、生きるための武器を、この本には全て詰め込んだ。
この本のタイトルを決めるとき、いくらかの人から「タイトルを変えたほうがいい」と言われた。その理由は、SNSでのシェアのしにくさにある。
『転職の思考法』というタイトルは、SNS上でシェアがしづらい。Facebookなど実名でシェアしたら、上司に「こいつ、転職を考えているのか?」と勘ぐられる可能性があるからだ。そして今の日本には、
「転職する人=裏切り者」
と思う大人がいるのも事実だ。転職が悪? 僕は、1000年前の脳みそなんじゃないか?と思う。だって、これは変な話じゃないか。誰だって、自分がどこで誰と働くか、は選べるべきだし、結婚・出産の関係で、どうしても一度レールから外れ、転職せざるを得ない人もたくさんいる。それに、そもそも憲法によって職業選択の自由は認められているし、なにより、皆だって実は「他人の事件なら」「優しい」からだ。
人は思っているよりも、優しい面がある。たとえば、電通の過労死問題や日本大学のアメフト部問題のニュースを見たとき、日本中が悲しみ、怒った。でも、それを「自分の会社」や、「自分のこと」だと見逃してしまう。つねに見失うのは「自分の足元」なのだ。
▼「誰もが憧れるような会社」で働くことは、誰を幸せにする?
僕は新卒で博報堂という広告代理店に入った。第一志望だった。
でも、社会人になって3年目の帰りの地下鉄で、なんだか涙が出てきたのを覚えている。「このままずっと、今の会社にいていいのか?」と腹の底では感じていたからだ。そして転職を決めた日、当たり前だが、僕はこう感じた。
・誰もが憧れるような会社で働くことは、幸せに必ずしもつながらない
遅い、猛烈に。
バカだと思う。でも、自分にとってはそれが、ベストのタイミングだったのだ。つまり、誰にとっても「自分のキャリアを考えるべき、ベストのタイミングがある」のだ。
今は、二人に一人が「人生で一度は転職する時代」と言われる。ずっと先回しにしてきた「あなたの職業人生の設計」について、これを機会に、しっかり、見つめる機会を持たないだろうか?
この本を通じて、少しでもモヤモヤが吹っきれたとしたら、これ以上に著者として幸せなことはありません。
ーー——以下は実際に読まれた人の感想です
「もしも約1年前にこの本に出会っていたら、私はいま、どんな会社にいたのだろう。ページをめくるたびにこれまで考えもしなかった声が私の中に出てきた」(20代、女性、メーカー)
「物語形式だったので、主人公に共感できる描写が多く、“情報を見極める思考の軸”の大切さを、よりリアルに感じ取れた」(30代、男性、マスコミ)
「転職を考えている人は必ず読むべき本だと言える。一方で、すでに転職をした人が読むと、後悔するかもしれない。自分の転職が正しかったのか、答え合わせができてしまうからだ。」(30代、男性、弁護士)
「まさに同年代がどんどん転職していく中、私って売れる技術はないし、今の部署は楽ちんでお給料もそこそこもらえるし、手放すのは惜しい…けどこの会社に未来はあるのか?と言われたら多分ない…と思って日々生きています。製造業で技術をつけてもニッチすぎて転職に使えなかったり、自社ではいい技術だと思われているけど他社では普通だったりするので、製造業には刺さるのではないかと思いました!」(30代前半、女性、製造業開発)
「小説の形式ということに、ぐいぐいと引き込まれました!(中略)手に取る方は、占いを読むような感覚で今の自分に当てはめながら読み進められそうです。」(30代、女性、エンタメ業)
「ちょうど1年前、初めての転職を経験した者です。内容、端的に言って最高だと思いました。転職する前に読みたかった…!(中略) あと物語形式なのも、良いですね!昔読んだ「嫌われる勇気」を思い出しました」
(28歳、男、出版→コンサル)
「イッキ読みできて楽しかったです。20代は専門性、30代は経験、40代は人脈とありその端的な指針がとても腹落ちしました。」(30代、女性、編集業)
「皆さんおっしゃっているように、転職を考えてから読むだけでなく、これから就職する人にもとっても有益な内容だと感じました。図解で視覚的に理解も深まりますし、文字数が少ないのに知識がつまっていて、続きが読みたくなりました。」(30代、男性、製造業)
「言うなれば、これは「オトナの自己分析」だ。就活の時に行ったような、付け焼き刃のテクニックではない。ビジネスパーソンとして持つべき、一生モノの思考法を分かりやすく、そして、転職に悩む一人の青年を描くストーリーとしてまとめている。」(30代、男性、出版)
「人生100年時代」と言われる昨今、キャリアの築き方の重要性は高まっている。彼(転職先の会社)を見極める方法と合わせて、年代を問わずに勧められる本だが、できるだけ若いうちに出会った方がいいだろう。30代に入り、転職を考え始めた自分がまさに求めていたコンテンツだったことは言うまでもない」
(30代、男性、出版)
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ラジオに出演/「週刊 東洋経済」掲載/「マッキンゼーが3位の就活ランキングって、意味ないですよね?」など
最近、いろんな人から「力を貸そうか?」と言っていただくことが増えたのですが、今週も、たくさんの方に力を借りました!
多謝多謝。。。
1.今週発売の『週刊 東洋経済』に取材されたコメントが掲載されています
いろんなご縁があり、東洋経済さんに取材いただきました。国内の上位学生さんが、なぜ、外資系企業とベンチャーに流れるのか?についてコメントをしております。
source:週刊東洋経済 2018年6/23日号
(宮本さんありがとうございます!)
2.ラジオ収録がありました。7/9(月)から4日連続で、OAらしい!
TOKYO FMさんの夕方の帯番組「未来授業」に出演させていただきました。
話した中身は「どうやって自分のキャリアを形成していくか?」です。今のところ、7/9(月)の週から4日連続でOAされるようです。
source:未来授業 - TOKYO FM Podcasting
収録の様子はこんな感じでした↓
(菱山さんありがとうございます!)
3.Vorkers増井社長との対談記事が公開されました
企業のクチコミサイト「Vorkers」の増井社長との対談記事が公開されました。WEBサービスの「Vorkers」は本当に素晴らしいプロダクトで、僕は大好きなんですが、社長にラブコールを送って、「激論シリーズ」に出てもらいました!嬉しいー!
この時代に、全ての人が知っておくべき「就活ランキング」「エンゲージメントスコア」の見方について徹底的に議論してきました。(増井さんありがとうございます!)
4.東京大学の柳川範之教授と話してきました @ダイヤモンドオンライン
皆さんは
「日本のブレーン」
と聞いて誰を思い浮かべるでしょうか?
今回、ダイヤモンドオンラインでお話しさせて頂いた東大の柳川範之教授は間違いなく、日本の頭脳の一人です。先生は「40歳定年制」を提唱されていて、これは、人生を20年×3回に分けてキャリアを設計しましょう、という概念だと僕は解釈しています。
今の日本って、実質的には40歳で勝負がついているので、それを可視化して「もっと自分でキャリアを設計できるようにすること」が大事だと記事の中でも述べています。
北野:僕が40歳定年制をいいなと思うのは、日本って今、実質的には40歳ぐらいでキャリアの区切りがついていると思うからなんですよね。今、大企業では40歳ぐらいになると、出世するやつはどんどん出世し、そうじゃない人は出世が止まる。あるいは、メガバンクやメーカーなど、今、日本には約500万人の「社内失業者」がいるという推計もあります。ということは、実質的に「40歳ぐらいで勝負はついている」わけですよね。でも、それを「見える化」していないだけだと思うんです。40歳定年制はこれを可視化するわけですよね。
柳川:そうですね。ただし、通常言われているよりは、僕は長期雇用にもメリットがあると思っています。
北野:長期雇用にも「思っている以上に」メリットがある?
柳川:そうです、みんなでチームワークよく、わりと長いこと同じチームで働くっていうのは、日本企業だったり、日本人の特性だと思うので、それはある程度活かしていくべきだと思います。そうは言っても、たとえば新卒から70歳まで働くとなると、50年間あるわけなんで。50年間同じチームで同じ会社で働いて実力発揮できるというのは相当難しいだろうという意識があります。ですので、その期間を10年や20年にもう少し短くして、人が動けるような体制を作っていかなきゃいけない。こういう理屈です。
北野:つまり「長期雇用のメリット」を活かしつつ、変化に対応する。それが40歳定年制の真意だと。
柳川:そうですね、労働者の幸せを追いつつ、経済が活性化する方向を目指すということです。もう一つの大事なポイントは、今でいう「リカレント教育」を40歳できっちり行うという点でした。たとえば、北欧の場合は、解雇は比較的自由なので、そういう意味でのクイックな転身ができるんですね。ただ、それだけだとみんな不安になってしまう。だから、そこを補う「リカレント教育」つまり、「学び直し」が充実してるんです。これをしっかりとやって、安心を得つつ、新しい方向転換を労働者が図っていくようにできれば、安心を損なわないで、経済全体がいい方向に進みますよね。
(柳川先生、為末さんありがとうございます!)
ーーー
書籍のプロモーションチームも、50人を越え、最近、「この本オススメだよー」とか「北野さん、この人に会ってみた方がいいよ!」と言ってもらうことが本当に増えてきました。
僕は「まだ世の中に認められていないけど、実はすごい人やサービス」の価値を届けることがめちゃくちゃ好きだし、やりがいを感じます。もしも「この人取材してみたらいいよ!」って人がいれば、ぜひ、Twitterで教えてくださいー!
って思いませんか。僕だけでしょうか?
引き続き、よろしくお願いします!
ーーー今週木曜日に本がでます!
「映画は1.4倍でみます」と言ったら、女の子に死ぬほどドン引きされた話
事件が起きた。あれは多分秋だったと思う。全てはこの一言から始まった。
「俺、映画、1.4倍速で観るんだよね」
隣にいた女の子は、「え?」みたいな驚いた表情を見せた。そしてその2秒後に「は?」みたいな軽蔑するような顔に変わった。なぜなら彼女には「コンテンツ」に対する強い思い入れがあったからだ。具体的には、アーティストの仕事をしていたからだ。彼女は続けた。
「え、ありえないんですけど。」
「ありえない、よね……、でも見ちゃうんだよね」
「……」
「……」
私は倍速で見るメリットを伝えた。例えば、(1)1.4倍速で見れば、120分の映画が僅か85分で観れること、(2)テンポが早くなり、「眠くならない」こと、(3)速聴効果で、もしかしたら「脳にもいいこと」などを語った。
しばらく沈黙が続いた後、彼女はこう続けた。
「……それは、彼女と一緒に居てもですか?」
「うん、たまに」
「……」
「……」
事件だった。いくつかの思惑が交差し、決して交わることのない2つの直線の存在を感じた。「男と女」、「ロジックと感性」、そして今回の最大のテーマである「メディアとアート」。そして私は次のことを確認した。
— 終わった、
だが、すぐさまこれは「サンクコストだ」と認識した私は、自分が取るべき、ネクストアクションを確認した。
うん、きっと、これは、
「書くしかない」
論点:映画は本当に「1.4倍速で見ちゃダメ」なのか?
「映画を1.4倍速で見る男」
そう聞いて、あなたはどう思うだろうか。もしも、あなたがクリエイター系の仕事につく人だったとしたら、100人中98人は「ありえない」と答えるだろう。なぜかって? それはこうだ。
「作り手(クリエイター)への冒涜だから」
わかる。気持ちは。だが、ちょっと待って欲しい。なぜ、映画だけが特別なのだろうか。もしも仮に「受け手は、クリエイターが狙った通りにコンテンツを消費すべき」というのであれば、なぜ映画だけが特別なのだろうか。
例えば「本」はどうだろうか? あなたは、本の飛ばし読みをしたことがないだろうか? 途中で頓挫してしまったことはないだろうか。学校の教科書に落書きしたことは? 教科書だって「作り手」が存在する。一体、何が違うのだろう。
あるいは、もっというと、「美術館」はどうだろうか。美術館には「このルートで観て欲しい」という推奨ルートが存在するが、自分の観たい作品だけ観たことはないだろうか? YouTubeはどうか。あなたは最初から最後までYouTubeを必ず見るだろうか? それだって「作り手への冒涜」に値しないのだろうか。つまり
「映画だけ、特別視する理由はない」と思うのだ。
……。
と、ここまで聞いて、きっとあなたはこう思うだろう。
「この人、マジでめんどくさい人だな」
これはマジで正解だが、こう返したい。それでも映画だけが特別視されているのはおかしい! と。
「映画を1.4倍速で見る男」は、サイコパスなのか?
そもそも、ありとあらゆる物事には、2つのロジックが共存している。そして、全ての社会的事象は、この2つの「交差の仕方」に支配されていると僕は考えている。
・1つは、サプライヤーロジック(供給側の理屈)
・2つは、ユーザーロジック(需要側の理屈)だ
これらは交わることもあるが、交わらないことも多い。極めて卑近な例でいうならば、
「俺は、彼女を好きで、付き合いたい(サプライヤー・ロジック)
しかし、相手はどうでもいいと思っている(ユーザー・ロジック)」
前半である「俺は、彼女と付き合いたい」というのは、供給側(あなた)の理屈であり、「サプライヤーロジック」だ。一方で後半の「相手はどうでもいいと思っている」は、受け手の理屈であり、「ユーザーロジック」だ。どちらが優先されるべきか? もちろん、後者(ユーザー側の理屈)だ。
そして、僕が思っているのは、この2つをちゃんと分離して考えられないやつは大体やばい奴だ。サイコパス気質がある。では「作り手の気持ち」がわからない(っぽい)、僕はサイコパスなのだろうか?
答えは「ノーだ」。
なぜか?
以下の2つをしっかり、理解しているからだ。(多分)
サイコパスが知らない「2つのルール」
1、ユーザーロジックと、サプライヤーロジックが、別であることを理解している
2、ユーザーの理屈が(基本は)優先されるべき、と認識している
逆にいえば、上の2つを理解していない人間は「サイコパス気質」があるから要注意だ。
優秀なマーケターは、自分が「作り手」のときと、「消費するとき」で、立場を入れ替えることができる
そして映画に対して思うのは受け手がコストを払っている限り、優先されるべきは常に「ユーザー側の理屈」だと思うのだ。だが、ここに落とし穴がある。というのも、コンテンツの難しさは、自分が作り手になり得るがゆえに、「視聴するときまで、制作側の気持ちに寄り添いすぎること」だからだ。
そしてこれが、優秀なマーケッターか、単なるサイコパスか、を分けている最大の違いだと思うのだ。
サイコパスか、優秀なマーケターを分ける最大の違い
・優秀なマーケターは、自分が「作り手」のときと、「消費するとき」で、立場を入れ替えることができる
・サイコパスは、常に「作り手」か「消費する側」のどちらかの立場にしか立てない
サイコパスは、往々にして「圧倒的な自信」を持っているため、性的にも魅力的なことが多い。一方で優秀なマーケターも「自分の見せ方」が驚異的にうまいため、魅力的な人物に見えることが多い。したがって、両者はしばしば誤認されることが多く、見極めが難しい。だが、そんな悩みも今日で解決だ。見極めるためには、これを聞けばいいことがわかっただろう。
「あなたは、映画を1.4倍速で見る人をどう思うか」
そのスタンスを問えば一発だ。
ユーザーロジックには唯一の弱点がある
さて、どうでもいい話を本題に戻して
「ユーザーの理屈が、基本、優先されるべき」
と聞いてあなたはどう思うだろうか。これは事実だ。だが、サービスを作っている人であればわかると思うが、ユーザーロジックには唯一の弱点がある。それは
・ユーザーは、未来の「あるべき姿」は、分からない
ということだ。例えば「iPhone」が分かりやすいが、ユーザーインタビューから「iPhone」は生まれない。人間は自分がこれまで見てきたことや、経験したことの延長線上でしか物事を捉えられず、そして、iPhoneは、当時の我々の肉体的感覚の延長線を超えていたからだ。つまり「経験したことがないもの」だったわけだ。
したがって、もしも、映画にサプライヤーロジックが優先されるとしたら、それは「未来の姿」を描いているときのみだ。ここでいう「未来」というのは、SF映画とかそういう意味ではなく、「あるべき人間の未来の全体像」を指している。例えるなら「アートとしての映画」である。
つまり映画を1.4倍速で観ていいか、という問題は、本質的には
映画とは「アート」なのか「コンテンツ」なのか
を実質的に問いかけていたのだ。
ここ10年のメディア論はすべて、メディアは「アートなのか」「コンテンツなのか」の論議だった
そろそろ終わりにしたい。
ここ10年のメディア論議(すなわちDeNAのキュレーション問題や、紙メディアの衰退に対する意見)は、メディアは「コンテンツなのか」「アートなのか」という立場で二分されていたと私は思う。もしも、メディアがすべからくコンテンツであるとすれば、「消費されるかどうか」がすべてであり、DeNAを代表とするキュレーションメディアはやはり最強であった。
一方で、メディアがもしも未来の「あるべき姿」を多少なりとも含むべきもの(=アート)であったとすれば、キュレーションメディアはユーザーロジックの域を超えておらず、「メディア」とは呼べなかったものだと思う。
ジャーナリズムの本質とは、「時間や対価を払ってでも、有益な情報を得ようとする姿勢」
そして、一般的に「キュレーションメディアの是非」は、ジャーナリズム論の文脈で語られることが多いが、私はこれは論点が違うと思っている。ジャーナリズムの本質とは、「時間や対価を払ってでも、有益な情報を得ようとする姿勢」であり、それを失ったのは、メディア側ではなく、むしろユーザー側である。つまりユーザーが「労力を払ってまで有益な情報を得ようとしなくなったこと」こそが、ジャーナリズムを崩壊させえる最大の要因だと思うからだ。
反対にいえば、一部のオールドメディアが語る「新興メディアにはジャーナリズムがない」という一方的な批判は、彼らの単なるサプライヤーロジックを、ユーザー側に押し付けようしている行為だと思うのだ。その意味で「サイコパス的な考え方」とすら言える。
何が言いたいか?
一言でいうと
「映画1.4倍速で見る男」
こんなどうでもいい話が、ここまでの話に展開するとは僕も思わなかった、ということだ。
「映画を1.4倍速で見る人」
あなたは、果たしてどう感じるだろうか?
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