『週報』

北野唯我のブログ。人材領域をサイエンティフィックに、金融市場のように捉える為の思考実験の場。

【続編】天才を殺すのは、実は「秀才」ではないか?等への回答10選

 

先週の金曜日、ある記事を書いた。

 

「凡人が天才を殺すことがある理由」

 

yuiga-k.hatenablog.com

 

この記事は、12%の「高いエンゲージメント率」をキープしたまま、大台となるpvを超え、FBシェアだけで5,000を超えた。その過程で、様々な質問や指摘があった。

 

中でも一番嬉しかったのはこれ。

 

 

左ききのエレン」のかっぴーさんのツイート。普段、僕はエゴサーチは1ミリもしない*のですが、この記事は「絶対にバズらせたい。誰か一人で良いので、響いて欲しい」と思って(鬼の形相で)エゴサリツイートしまくった。結果、まさに届いて欲しい人に届いたように感じた。

本当に嬉しかった。クリエイターが命を削りながらモノを作るように、ライターも命を削りながら文章を書くことがある。今回はそれだったからだ。

 

ご協力頂いたみなさんに、感謝しかありません。

エゴサする過程で、とても勉強になるツイートがあった。

 

僕自身も勉強になったので、10の質問だけ、考えたい。勝手に引用したので、もし削除した方がいい方がいれば、すぐ消すのでお教えください。

  

(再掲)天才と秀才と凡人の「軸」

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 Q1:天才を殺すのは、凡人ではなく、意外と「秀才」なのではないか?

 

 

→これは半分、その通りだと感じました。正確にいうと、天才が死ぬには、3つのフェーズがあるのではないか?と思っています。最終的にトドメをさすのは秀才が「ロジック」を凡人にあたえる、そういう構造かと思います。(詳しくは下の図)

 

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 Q2:「共感の神」はどうやったら見つかるのか?

  

 

→これは、ありきたりですが、シンプルに発信することかと思いました。

その際に重要なのは「天才は天才側で、ちょっとだけ、視座をさげること」な気がします。天才も天才側で多少、努力しなければいけないと思います。それをしないで「神様と出会いたい」ってのは、普段、お賽銭していない人が、ピンチになって急に神様を頼る、という構造と同じかと思います。

 

Q3:ちょっと天才を甘やかさすぎではないか?この記事で書かれている、天才は大したことはないのではないか。

  

→重要なのは「幸せの見つけやすさ」だと思います。どんな人の人生にも「理解者」がいた方が、幸せになると思うのですが、天才以外は、数が多いため、同一グループ内で出会う可能性が高い。一方で、天才は絶対数自体が少ない。だから、閾値を超えにくい。よって、僕は「ウェブぐらい、天才を、ちょっとぐらい甘やかしてもいいじゃん。コストゼロじゃん」と思いました。

 

 

Q4:あの考えは、ビジネスや科学の世界では当てはまると感じたが、スポーツの世界では、違うと思うがどうか?

 

→これはなんて素敵なツイートだと思いました。

スポーツはそもそも、同一ルールの中で戦う、どちらかというと秀才のゲームであると思います。ただ、一部のスポーツでは、創造性の余白があるので、そういうスポーツでは天才はいるかと思いました。

 

 

Q5:偶発的に、イノベーションが起きる理由が説明されていないが、どう思うか?

 

→これは鋭く、かつ極めて本質的(=価値のある)な指摘だと感じました。他のは想定していましたが、これは全く想定していない質問でした。この方の知性に感服しました。

今は答えがわからないので、ゆっくり考えていきます。

 

Q6:なぜ、根回し「おじさん」なのか?女性はダメなのか?

 

→「根回しおじさん」というのは、わかりやすいキャッチコピーなので、むしろ、女性の方がおおいのかな?と思いました。ただ、日本では、権力のある男性の方が割合が高いのが現状だと思うので、結果的に「根回しおじさん、お前らの方がもっと頑張れよ!」ということだと思います。

根回しおじさん、僕は人生で3人も、出会ったことがあります。本当に尊敬していますし、出会えたこと自体が、本当に幸運であったと思います。コロボックルみたいなものだと思った方がいいかもしれません。

 

Q7:この理論は、学術、技術的スキルに限らないか?

 

→そうかもしれません。ただ、それ以外の天才はそもそも認識することが難しいので、観測対象としてn数が足りませんでした。

 

 

Q8:天才と秀才と凡人の「定義」がないため、理解できないが。天才と秀才の定義の違いがよく分からない

(参考:いくつかのツイート)

→これはこの質問をしている時点で、この文章のメインターゲットではない、ということだと思います。すみません。

 

Q9:ベン図の中にも入らない、人間がいるのではないか?

(参考:いくつかのツイート)

 

→僕は文書を書くとき、だれかたった一人でもいいので役に立ちたいと思って書いています。一方で、傷つける人の数は出来る限り最小化したいと思っています。メカニズムを解明することで誰かを傷つけるとしたら、そんな知性って価値ありますか?

 ですので、回答としては「そんなことは重々承知ですが、それを書かないことが優しさだと思います」です。

 

Q10:3つの円が重なる人は存在するのか?

(参考:いくつかのツイート)

→いると思います。

 

いずれにせよ、素晴らしいフィードバックを頂き、ありがとうございました。

 

論点:「でもさ。そもそも天才って、社会に必要なのか?」

 

この文章を書いている身として思っていたのは、実は「前提条件」として一番抜けているのは、そもそも、世の中に創造性は必要なのか?ということです。言い換えれば

 

 そもそも「天才」なんて、社会に必要なのか? なぜ必要なのか?

 

ということでした。天才は、確かに正しい方向に社会を進めますが、意図せぬ形で、悪い方向にも進めることもある。となると「創造性」というものは逆にいらない可能性だってあるわけです。つまり「天才なんて不要説」です。

 

ですが、結論をいうと、「それでも僕は必要だと思う」と考えます。なぜかというと2つの理由があります。それは「人口増加による要請」と「経済システムの失敗を調整するため」です。これは説明するのはややこしいので、図に書くと、こういう感じかと思います↓ (分かりにくかったら、スルーしても問題ありません)

 

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でも、これってちょっと、おかしな話です。

 

だって、人口増加というのは、そもそも「科学の発展」によって推進されます。言い換えれば、「天才たちのイノベーション」によって起きる。

 

となると

 

天才たちの功績で→人口が増える→維持コストが増える→バランスを保つために、研究される→イノベーションが起きる→人口が増える

 

という天才→天才への「永久のサイクル」を繰り返しているということ。これ「なんじゃそれ。どっかでピタッと止めろよ」って話なのですが、これは現実的には難しい。なぜなら、「世界は、ベストな状態で止まることができない」からだと思われます。

 

現実世界で「原点ゼロの状態」は、再現されない。

 

先日、よくメディアにも出られている方から、面白い話を聞きました。

 

その方は自分を「バランスを整える人」だと称されていたのですが、世の中は常に「ベストな状態から、少しだけズレる」という話でした。例えるなら、世の中のバランスは振り子のように、どっちかに揺れれば、ぶり返しが起き、原点ゼロの状態にはピタッと止まらない。これ、社会科学の難しさであり、魅力ですね。

 

つまり

 

現実の世界では「原点ゼロの状態」は、再現されない

 

ということです。つまり、天才とそれを支える人たちは「このブレを、整える行為を永久に繰り返しながら、なんとかゼロの状態を目指そうとしている」というわけです。一度動き出したら止まることができない、なんだかマグロみたいな話です。これから「世界はマグロ理論」を唱えたいと思います。(←)

 

まだまだ、世の中には知らないことがありますね。以上、少しでも参考になれば幸いです。 

 

本体の話はこちらから→ 

凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか? - 『週報』

 

※ その他、とっても本質的だと感じたツイート(参考)

 

・天才にはエビデンスがない→ほんまそれ

 

・アンチが多い=天才か? →そうそう!

 ・小室さん天才説 →やめる天才のコピーをつけるときの脳内再生が、まさに小室さんでした

 ・天才=リーダー、秀才=マネージャー、凡人=フォロワーなのか?

 ・共感の神=多様性があるひと? →これは優しい視点だと感じました

・知り合いからのツイート。嬉しい

 ・この褒め方こそが、最高にクール。

 

ではまた!