『週報』北野唯我のブログ

北野唯我のブログ、プロフィール、経歴など。人材領域をサイエンティフィックに、金融市場のように捉える為の思考実験の場。

金曜の夜に「早く月曜こないかな」と呟いたら、女の子にブチ切れされた話

ああ。なぜ男とはここまで愚かなものなのだろうか。言ってはいけないことを言ってしまった。全てはこの一言から始まった。

 

「早く月曜来ないかな」

 

魔弾だった。他意はなかった。だが、一度放った言葉はめちゃくちゃに世界を巻き込み、彼女の鼓膜までたどり着いた。

 

「……え?」

 

「……ん?」

 

「なんて言った? 今」

 

「へ……っ?」

 

“金曜日の夜”というのは、サラリマーンにとって審判の一日だ。その一週間よく働いた者はビールを甘く飲む権利を持ち、その1週間ヘマをした人間は3日後にくる月曜の朝が憂鬱になる。だが、俺はそれをはるかに超えてナチュラルにこう思った。

 

「早く、月曜来ないかなー♪♪」

 

そう、ここまでは良かった。だが問題はそこじゃない。それをあろうことか、金曜の夜にシャンパンを持ち、俺と会うことを2週間前から楽しみにしていた女の子の前で呟いてしまったことだ。

 

そして今、彼女はシャンパンを静かにテーブルの上に置いた。そして真っ直ぐ俺の方を見てこう言った。

 

「それってさ、どういう意味?」

 

「……あ、いや、えーっと」

 

「はい。」

 

「……違う。違うんだ」

 

一体全体、何が“違う”のだろうか? この世界に普遍的なルールがあるとしたら、それは男がいう「違う」という言葉は一切“違わない”ということだけだろう。これぐらい俺も大人なのでよく知っている。こうなるともはや何を言っても意味はない。一度放った言葉は決して戻ってこない。俺は確信した。

 

「これは、ただひたすらに、謝るしかない」

 

同時に俺は、そもそも、女が抱える矛盾も痛感していた。俺のこの病気を名付けるとしたら“空気読めない病”だろうが、彼女の症状は「仕事好きな人が好きだけど、私だけが特別でもいて欲しい病」だ。もはや1つの定理なのではないかというほど、世界に遍在している理論だ。

 

 

・論点:「仕事って、楽しくあるべきなのか?」

さて、この問題は極めて強烈な問いを我々人類に問いかけている。それは

 

—   仕事って、そもそも、楽しくあるべきなのか?

 

ということだ。だが、この問題を解くためには、まず「性癖とは何か」について説明しなければならない。俺に100の性癖があるとして、その中で一番問題を起こし得る性癖があるとしたら、おそらくこれだろう。

 

 バリキャリ女子が、好きすぎる。

 

そう、俺は仕事が好きな女子や、バリバリ働く女子が好きすぎるのだ。例えば、友達にもし「マッ◯ンゼーの女の子と飲むんだけど、くる?」と言われたら俺はすべての仕事を投げ捨て1秒でイエスと返信するだろう。あるいは、ゴールドマンサッ◯スならどうか? もはやノールックで付き合ってくれないかなという気分になる。もっというと「30歳で会社を経営しています」なんて女性と会おうもんなら結婚すら頭によぎる。

 

少なくとも俺は俺以上に “バリキャリ女子が好きな29歳のオス”を東京の渋谷区では見たことがない。少なくともそう勘違いするほど、バリキャリ女子が好きなのだ。したがって俺はしばしば友達にこの話をするが、いつもこう言われる。

 

「全く理解できない」

 

「理由は?」

 

俺はこの質問をしてくる時点で、ばかたれと怒りたくなるが、その気持ちをぐっとこらえて、その理由を真面目に答えるとしたらこうだ。

 

“確かに積み上げてきたものと、それに相反する2つの気持ちが両立している姿に、美しさを感じるから”

 

 

……

……

……

意味不明だって? うん、きっとこう思っただろう、「よくわからん」と。

 

間違いない。俺も俺自身が今何を言っているかよく分からなかった。だが、ちゃんと説明したい。世界には実は2つのルールが存在しているということを。

 

・世界には「相関のルール」と「逆相関のルール」が共存している。

 

世界には、様々なルールが存在しているが、その根元には、さらなる2つの「大ルール」が存在している。

 

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 参考:世界には2つの大ルールが存在している

 

俺がバリキャリ女子が好きな理由は、普通なら「相反してしまう2つ」が共存していることが、男の世界ではなかなか起こり得ないからだ。例えば、男というのは単純なルールで、1つの数値が高ければ、他の項目にも正の相関を与える傾向にある。例えば、背が高いほどモテる。金を持っているほど、モテる。賢いほど、モテるだ。だが、女性は必ずしもそうではない。

 

だからこそ、「男性ですべてを持つ人」よりも、女性でそれを持つ人に、とてつもない魅力を俺は感じるわけだ。俺は俺ごときがどれだけ頑張っても決して乗り越えることの出来ないであろう、圧倒的な美しさをそこに見いだす。

 

言い換えれば、俺のような男はいつまでたっても、2週間前から俺と会うことを楽しみにしてきた女の子の前で「早く月曜来ないかな」というような無神経な発言ができてしまうわけだ。なぜなら、俺の中に相反するルールが存在していないからだ。

 

……さてここまで聞いて、あなたはこう思っただろう。

 

「この人変わってんな」

 

だが、ちょっと待って欲しい。俺は真剣に思うのだが、俺は変わっていない。むしろおかしいのは世界の方だとマジで思っている。むしろ、一体あと何年経ったら、世界は俺に追いつくのだろうか?とすら思う。

 

……

 

これはちょっとだけ、言いすぎた。

 

・金曜の夜に、いうべきこと

 

とにかく、そろそろ終わりにしたい。

 

一体、こいつは、何が言いたいのかって? それはというと

 

 世界には相反するものが、もっとあってもいいのじゃないか。

 

ということだ。かつて俺は「人類は、映画を1.4倍速で見てもいい」という定理を証明したが、その時に、世界にはサプライヤーロジックと、ユーザーロジックの2つがあることを説明した。

 

だが、このとき、俺はもっと根本的で大事なルールの説明を省いた。それが、まさにこの「大ルールの違い」だ。具体的には「小さなルール」の違いは、人は乗り越えることはできるが、「大ルール」の違いを人は完全には乗り越えることは出来ないという絶対的な限界線だ。

 

俺は確かにダメな人間だ。おそらくこんな下らない文章を最後まで読んでくださった男女の99%が「この人モテなさそうだなー」と思って、生物として俺を今見下していることだろう。これは間違いない。別にいい。俺は空気が読めないことだけが唯一強みのビジネスパーソンだ。だが、それでもこれだけは得意なことがある。それは

 

「違う大ルールで生きている人間の美しさを認めること」 だ。

 

かつて、物理学者のニールス・ボーアはこう語った。

 

『この世には、2種類の真実が存在している』

 

2種類の真実とは、「小さい真実」と「大きな真実」である。そして、小さい真実は簡単に見つけることができる。なぜなら、その反対が虚偽だからだ。だが、「大きな真実」は見つけるのが難しい。なぜなら、その反対には、もう一つの真実があるからだ。

 

さて、

 

今でも正解が分からない。だから教えて欲しい。

 

俺は、あの夜、なんと言えば良かったのだろう? と。

 

 

  
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