『週報』北野唯我のブログ

北野唯我のブログ、プロフィール、経歴など。人材領域をサイエンティフィックに、金融市場のように捉える為の思考実験の場。

人生とは「オセロ」

 

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「人生とは何か 」

 

といった類の質問には、2つの答え方がある。1つは、「きちんとした言葉で、定義すること」。たとえば、僕は人生とは「自分のこと好きになっていくプロセス」だと思っている。こういう風に「情報をより具体的な言葉」で表すことだ。

もう一つは「たとえ」をいうこと。まさに「人生とはオセロ」はその一例だと思う。オセロ、それは人生の醍醐味を表していると思う。

だって、他者からの「評価」というのはとても曖昧なものだからだ。それを痛感することが昔あった。あれは、高校生の時だったと思う。

 

何も「取り柄のない人間」が、ある日スターになる瞬間

高校生のときの自分は、控え目にいっても「特別目立つ存在」ではなかったと思う。そもそも、「なんのために生きるのか」が分からなかった自分は、学校にもあんまり行かなかった。何のために生きるのか、何のために働くのか、それが心底分からない状態で「学校で学ぶ意味」が分からなかったからだ。だから、嫌いかどうか、ではなく、行く価値が分からなかったのだ。

だから、学校に行くふりをして、家の近くの公園のベンチに横になり、ボーッと空を見上げなから、『ジャンプ」を読んでいたりした。日中に制服姿の学生がぶらぶらしていたので、おまわりさんにもよく声をかけられたりした。

そして、そのもやもやを抱えていたのは僕だけではなかったように感じる。同じクラスを見渡しても、不登校気味の同級生が二人いて、たまたま席が隣同士だった。3人は「学校に来ない、3人トリオ」として呼ばれ、3人が出席する確率は「奇跡に近い」と呼ばれた。そんなこともあり、高校のときはハッキリいって「何も取り柄のない人間」だったのは間違いない。

 

だが、そんな自分だが、熱中するものもあった。それは「校外の活動」だった。具体的には、高校3年のとき、ひょんなキッカケで「ボランティア団体」を立ち上げることになった。今の時代でカッコつけた言い方だと、「ソーシャルアントレプレナー」のようなものだろうか。

高校三年というと「受験で忙しい」。僕は学校にあまり行ってなかったので、時間だけはたくさんあった。だから、活動に熱中できたのだけど、その時は周りから、本当に「寒い目」で見られた。親にも当然、反対されていた。だが、ある日、その状況が逆転することがあった。それは「新聞掲載」がキッカケだった。

 

ある日、僕らがやっている活動が、メディアに取り上げられた。具体的には、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞神戸新聞、次々と取り上げられていき、僕の名前が新聞に連日載るようにになった。そのとき、周りや、学校の先生が急に「お前、すごいな!!」と言い出したのだ。別に嫌な気はしない。

 

でも僕はそのとき、思った。「僕は別に変わっていないのにな」と。あの時の「特に取り柄のない自分」と、全く変わっていないのになと。そして同時にこう、確信した。

 

「人生とは、やっぱりオセロ」

 

こうやって盛り上げてくれる人も大事なんだけど、もっと大事なのは、最初から応援してくれていた仲間だって。

僕は普段、メディアの役割とは「実力と、メディアパワーの均衡を整えること」だと思って働いている。世の中には「メディアに出ているけど、本当はすごくない人」もたくさんいるし、反対に「メディアには出ていないけど、本当はすごい人」もたくさんいる。

 

あの時の経験があったからこそ、今の自分はやっぱり「本当はすごい人なのに、フォーカスが当たっていない人」はとても応援したくなる。

 

本当に大事なのは「黒のとき」でも、応援してくれる仲間

さて、なんでこんなことを書いたかというと、やっぱり、初めての書籍が順調だからだと思う。

6/21に『転職の思考法』という本を出した。この本は、嬉しいことに、発売1ヶ月ちょうどで6万部を突破した。ちょうど一ヶ月経った今、振り返り、この数字は自分一人では絶対に達成できなかった数字だなと思うからです。

 

・初期から手伝ってくれたメンバーのみなさん、長谷川さん、寺口さん、伊藤さん、岩崎さん、ときおさん、清水さん、津倉さん、清原さん、もちろん井上さん

・人生のメンターとしてアドバイスをくださる、為末大さん

・人材エージェントで働きながら、社員全員に紹介してくれたTIXA ITEX 代表取締役CEOのツゥオさん

・渾身のNoteでこの書籍の価値を伝えてくれた、寺口さん(2回目)

・何より、自分がもがき苦しんでいたときでも信じてくれた長谷川(2回目)や若山さん

・ Toky FMへの出演交渉と、イベントをリードしてくださった菱山さん

Twitterで実況生放送・書評ブログ・イベントも主催してくれる、小松さん

・畳み人ラジオに紹介してくださった、だいまりさんと、畳み人のお二人

・企業の人事として積極的に紹介してくださった、スタメン人事・田中さん、ナイル・渡邊さん、みなさん

・記事の転載を快く受けてくださった、Hrog菊池さん

・書評紹介用の記事と、素敵なデザインを作ってくださった、@人事根本さんとデザイナーさん

・元競合(?)の創業者にも関わらず、紹介してくださった、樋口さん

・素晴らしい記事と構成をあげてくださった、バトンズの田中さん

・イベントで紹介してくださった、ユウイチさん

・他にも積極的に紹介してくださっている、那須野さん、三木さん、PRTable菅原さん

ダイヤモンド社のみなさま 

 

などなど。。挙げだすとキリがないし、ここに書いていない方にも広げてくださったかがたくさんいるのだと思います。本当に、ありがとうございます。。ここに挙げた人たちはまさに「自分が黒(グレー?)のとき」に、応援してくださった、一番大事な人たちだな、と思うからです。

でもまだまだ、たかが6万部。この本を通じて、成し遂げたい「誰もがもっと自由に、何度でも仕事を選べる世界」のためには、これからが勝負だということもわかっています。頑張ります。

最後に、改めて問いたい。

あなたにとって「黒のときでも、応援してくれる人は誰ですか?」と

 

▼著者自ら選ぶ、おすすめの書評ブログ

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僕の左腕のメンバーである、寺口さんの魂のこもったブログ

 

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編集担当の井上さんの、本への愛情がこもったブログ

 

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ぜひ、ご覧ください!

 

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組織における「秀才」の役割が、明らかに変わってきた。

 

※この記事は「凡人が天才を殺すことがある理由」の続編です 

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「大企業において、"進化を阻止するパワー”は、なにか」

 

ー最近、そればかりずっと考えている。その目的は、ある文章の続きを書くためです。

 

yuiga-k.hatenablog.com

  

通称「天才・秀才・凡人」と呼ばれるこの記事は公開すぐネット上で話題になった。観測している範囲だけで30万pv。ヤフーへの転載、SEOなど「計測できない分」も含めると、50万pv近くに及んだと思われるこの記事は(50万pvというのは「中規模ウェブメディアの1ヶ月分の数字」にあたる)、書籍化のオファーも複数社からきた。

 

そして最近、この話の「続き」を考えることが多い。その背景にあるのは僕自身が「秀才の価値」を痛感する機会が増えてきたからだ。具体的にはこうだ。

 

  今の時代、組織の命運は実は「秀才」が握っている

 

そう考えるようになったからだ。

 

・「天才の時代」と「秀才の時代」は、交互に訪れる

 

原文を読んでいない人もいると思うので、3者の関係をまず再掲したい。

 

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 出典:凡人が天才を殺すことがある理由 

 

これは天才と秀才と凡人の関係図をさしている。今回は「天才と秀才」の関係についてみたい。まず、秀才→天才は「妬みと憧れ」という、相反する感情(アンビバレントな感情)を持つ。一方で、天才→秀才は「興味がない」。

 

この理由は簡単だ。秀才は、天才の凄さがより正確に「分かってしまう」からだ。反対に天才は「秀才という人工的な存在」に本質的には興奮しないからである。そして普通の人は、天才の凄さを認識できない。そのため、凡人→天才はシンプルな感情しかもたない。それは「凄い」か「理解できないから排除する」の2つしかない。一方で秀才は違う。「自分とは、モノ(才能)が違う」という事実をいやがおうにも見せつけられる。根の深い部分では憧れを持つ。一方で、天才は本質的には自分には興味を持ってくれないことも知っている。そのため、相反する気持ちを持ちやすい。

 

ここまでは復習だ。

 

そして今、「大きな会社」の構造を見ると、面白い仮説が浮かび上がってくる。それは

「天才が上に立つ時代」と「秀才が上に立つ時代」は、歴史的に交互に訪れるということだ。

 

これは図に書くとこうなる。

 

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たとえば、戦後、日本が復興しようとしていたとき、間違いなく、組織のトップは「天才」がリードしていた。何もないところから、新しいことを作る。つまり「創造性」が世の中をリードしていた。一方で、組織は「天才」だけは回らない。それをサポートする「秀才」と、人の気持ちがわかる「普通の人」が絶対に必要だ。だから、組織はこうなる。キレイなピラミッド(天才→秀才→凡人)だ。

 

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だが、時代はたち、天才も歳をとる。スティージョブズしかり、天才も「死」には勝てない。そうすると、組織のトップに来るのは構造的に「秀才」である。一方で、若くて才能を持つ「若き天才の卵」は、次々に生まれ、組織に入ってくる。この時、組織の構造は逆転する。(「組織のライフサイクル」と呼べるだろう。)

 

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この時、最も相性の悪い「天才の上に、普通の人がつく」という構造になる。原文で説明したように「天才は普通の人によって殺されること」が多い。そのため、天才は共感の神などに助けてもらえない限り、「不幸な死」を選ばざるを得ない。

 

加えて「事業」にもライフサイクルの死期が訪れる。

創業期を牽引した「コアの事業」はやがて加齢し、消えていく。その時、企業は再度「創造性」を発揮するターンに入る。一般的に使われる言葉だと、破壊的なイノベーションという言葉がわかりやすいだろうか。

だが、問題はその時「誰がトップに座って、どんな感情を抱いているか」である

 

・秀才が直面する「自分の気持ち」にどう向き合うか、という問題

 

具体的には、この時、トップに君臨するのは往々にして「秀才」である。このとき「秀才」が、社内に残存する「天才」をどう扱うか、によって全ての組織の運命は決定する。問題は「感情」にある。具体的には秀才が固有に持つ「尊敬と嫉妬が混ざった、自らのアンビバレント(相反する)な気持ち」である。

 

そもそも「アンビバレントな感情」は、人間がもつ感情の中で最も厄介だ。恋愛における「好きだけど、別れられない」と同じように、相反する2つの感情を含む気持ちは、急激に左右に触れるからである。尊敬と嫉妬、愛と憎しみ、ほとんどの厄介な事件は、この「アンビバレント」な気持ちによって生じている。それがつまり

 

 >秀才が天才をどう扱うかによって「大企業の組織の未来」が決定付けられる

 

と感じるようになった背景である。そして今、多くの大企業はこの転換期にある。したがって、大半の大企業にとってこの「秀才の気持ちのコントロール」こそが、組織の発展を決めると言っても過言ではないと感じるのだ。

 

・天才には、この人を逃したら「あと、何年、待たないといけないのだろうか?」と感じさせる迫力がある

 

これまで僕は人生で「この人は天才だなぁ」と思う人と、3.5人会ってきた。一人は友人でもある、スプツニ子さんだが、天才の第一印象というのはこうだ。

 

 ・この人を逃したら「あと、何年、待たないといけないのだろうか?」と感じさせる迫力があること

 

だ。それはつまり「再現性のなさ」に近い。言い換えれば「この人を逃してしまったら、次に同じような人が訪れる未来」がイメージできないのだ。大谷翔平がわかりやすいだろうか。あのクラスの若手が「次にいつ現れるか」わからない。そう思わせる迫力があるのだ。

 

だが、悲しいながら、秀才は違う。

きっとこういう家庭で育ち、こういう勉強・経験をしたら、こうなるのだろうな、という解剖ができる。しかし、天才はそれができない。「なぜこの人が生まれてしまったのか」が分からないのだ。いや、正確にいうと「わかったとしても、再現」できないのだ。つまりチャンスは「何度も訪れない」のだ。

 

天才が離れ始めた組織に、もう一度天才が寄り付くには相当な労力が必要だ。たとえるなら、郊外の廃れ始めた「シャッター街」がわかりやすいだろう。一度、天才が寄り付かなくなった組織には、もう天才を惹きつけることはできない。だからこそ、秀才が「自らの気持ちに向き合い、変革を行うためのチャンス」は1度きりなのだ。(少なくとも数度しかない、のだ)

 

これが、大企業が自らの手で変革できる唯一で最大のタイミングだと感じるのだ。

 

SNSで最も利益を得たのは「普通の人」。SNSマイルドヤンキーの時代がきた

少し前にラジオ番組を収録した。その時、この話をした。すると側にいたディレクターに聞かれた。

 

「あの、凡人……普通の人はどうなるんですか?」と。

 

つまり、ほとんどの人は天才でも、秀才でもない人。つまり「普通の人(凡人)」だ。そして上の議論はその「普通の人」を置き去りにしているという。(本当は共感の神がいるのだが)たしかにその通りだ。だが、実は、今の時代は「普通の人」こそ最も利益を得やすい時代に入りつつあるのも事実だ。つまり「普通の人にこそ優しい時代」が到来した(加えて、僕はその世界が好きだ)。それは、SNSの登場が大きい。

 

SNSと、ヒエラルキー(大企業)の違いはいくつもあるが、ポイントは2つである。

 

①上下関係がないこと
②共感をベースに繋がれること

 

このメリットを最大限享受できるのは、実は「普通の人」である。だから今の時代とは、本質的には

 

「秀才の支配からの、脱出の時代」

 

だと感じるのだ。(続く)

 

※この記事は「凡人が天才を殺すことがある理由」の続編です。

 

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日本にもっと、自由な転職を。「他人に憧れるような会社で働くことは、誰を幸せにするのだろう?」

 

「他人に憧れるような会社で働くことは、幸せに必ずしもつながらない。」

 

最近、テレビやネットのnewsを見て、そう思う機会が増えた。その背景にあるのは

 

「会社で働くことは、誰を幸せにするのか」

 

という本質的な問いを今、日本人全体が突きつけられているように感じるからだ。

 

どういうことだろうか?

 

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▼『退職届』を書いてスーツに忍ばせた、大企業人事の話

 

以前、大企業の人事の方と話したときに、印象的な話があった。

 

その方は、新卒から10年間、ITメガベンチャーで働き、その後、ご家庭の事情で日系の古くからある企業に転職した。彼は言っていた。

 

「転職した当初、仕事が面白くなさすぎて、毎日辞めたいと思っていた」

 

社内で変革しようとしても、多すぎる承認フロー、完全にフレーム化された仕事……新卒で働いていたベンチャーと比べたとき、働き方が肌に合わなかったらしい。そして彼はある朝、筆をとり、『退職届』を書き、スーツの内ポケットに忍ばせて出社した。

 

だが、驚いた。

 

なぜなら、その日から仕事が急激に「面白くなった」からだ。というのも、「いつでも退職してやる」という覚悟をもった途端、社内でも言いたいことが言えるようになり、上司のくだらない付き合いにもNOと言えるようになったからだという。

 

僕は彼の話を聞いたとき、「本質を表している」と感じた。

 

というのも、仕事というのは、「自分はこの場所で絶対に生きないといけない」「自分はここでしか生きていけない」と思った途端、めちゃくちゃ窮屈なものになる。あるいは「自分は外で生きていく価値がないんだ」って思ったら、急激に自分の存在自体を疑問に思ってしまうようになる。

 

でも、反対に「自分はいつでも辞められる」という覚悟が決まれば、仕事に前向きになり、明らかにパフォーマンスもよくなる。何より「自分に小さな嘘をつく回数」はグッと少なくなる。

 

そして、最近、テレビのニュースを見ていて感じたことは同じ構造だったのだ。

 

▼日大のアメフト部の件で感じた、「悲しさ」

 

先日、日本大学のアメフト部のタックル事件があった。僕はあの話を聞いたとき、本質的には上の人事の話と「全く同じ構造だ」と感じた。

 

だって、もし彼が「いつでも自分は、日大のアメフト部なんて辞めてやる!」「その気になったら他の大学のアメフト部にいってやる!」って思えていたとしたら、あんな悲しいことは起きなかったと思うからだ。

 

でも、実際はそんな風には思えなかった。

 

そりゃそうだ。だって、小中高大と部活だけを一生懸命頑張ってきた人にとって、部活って自分の全てだからだ。「自分の全て」であるものを捨てるなんて簡単にはできない。その気持ちも痛いぐらい、よくわかる。だから部外者が「やめちまえ」なんて言っても、それは空虚に終わる。

 

もちろん、「組織は自分の全て」と思うこと自体は、いい側面もある。組織が正しい方向を向いているときはいい。一体感も生まれるだろう。

 

でも、反対に、会社や組織が間違った方向を向いたり、不正を言いだしたとき、そのとき、組織は人を殺しはじめる。中にいる人はNOなんて言えない。だって「会社=自分の全て」だから、自分に対してNOなんて誰も言えない。こうやって組織は人を蝕んでいく。

 

今回のケースはまさにその典型例だったと思う。

 

だから僕は、人材マーケットの人間としてこれまでずっと、若い人や、将来を担う学生さんには、会社はお前じゃないんだよ。自分じゃないんだよ、ってことを一貫して伝えてきたつもりだ。今回書籍を出させていただくことになったが、この本は、この延長線上にある。対象は学生さんではない、全ての働く人に向けた文章だ。むしろ、大人の方が感じるものがあると思う。

 

▼「リアリティ」がある、キャリアデザイン論

 

今回の本を書く上で、一番大事にしたことがある。それは

 

「リアリティがあること」だ。

 

多くの転職に関する本は、一部の「圧倒的な成功者」や「極論」で埋め尽くされている。たとえば、「好きなことだけやれ」とか「とりあえず、独立してみろ」などだ。

 

でも、本当にそうなのだろうか? これは、本当にリアリティがあるのだろうか? 僕にはそうは思えない。だって、自分自身が初めて転職したとき、そんなアドバイスは全然心動かされなかったからだ。

もっと「リアリティのあるアドバイス」が欲しかった。

 

僕が初めて会社を辞めると決めたとき、正直、めちゃくちゃ迷った。頭ではこうすべき! と思っていても、なかなか勇気が出ずに、寝れない日々が続いた。当時付き合っていた彼女にも弱音を吐いて、叱責されたりもした。めちゃくちゃダサい。

 

でも、それが「仕事選びのリアリティ」ではないだろうか?

 

仕事選びって本当は、キラキラしたカッコイイ部分だけではないはずだ。

 

「転職して給与が下がったらどうしよう」

 

「恋人やパートナーは反対するだろうか」

 

「お世話になった上司にどう言うべきか」

 

そんなウジウジした気持ちを、まるっと含んだもののはずだ。だったらその部分まで含んだ「アドバイス」が誰にだって必要なはずだ。

 

▼物語形式で進む、ストーリー

 

『転職の思考法』という本は物語形式で進む。主人公である青野は、「勝負の分かれ目」ともいえる年齢を迎え、どうキャリアを形成していくべきかを真剣に悩んでいる。実際の仕事場で起きうる、上司との衝突、同僚との駆け引き、彼女からの反対など、「リアルな悩み」に生き、悩んで、答えを出していく。

 

つまり、この本は、どこかのスーパースターではなく、僕たちのための本だ。僕が転職をしようとしていたとき、「もっと早く教えてほしかった」「こんな本があればいいのに」というすべての知識を詰め込んだ。まさに「あのとき、本当に読みたかった」リアリティのある本だ。

 

僕は普段、「あいつはAIなんじゃないか?」と同僚に言われるぐらい、どちらかというと論理的な人間だと思う。でも、たまに、自分でもびっくりするぐらい猛烈に感情的になるときがある。自分ではそのタイミングを知っている。それは

 

本来は「人を幸福にするため」に生まれた組織が、

「人を不幸にするため」に使われているのを見たとき

 

だ。だって、そもそも「会社」なんてものは幻想に過ぎず、実存しない。最近お会いした、田端信太郎さんの言葉を借りると「ただの概念」だ。でも、その「概念」が誰かを殺すためのツールになっていたとしたら、そんな腹立たしいことってあるだろうか?

 

そう思うと、猛烈に腹の底から悲しみと怒りに近い感情が湧いてくる。

 

▼組織のリアリティ

 

でも、「組織のリアリティ」も知っている。(自分自身、50人近い組織をマネジメントしているから、よくわかっているつもりだ)

 

たとえば、今から全ての会社が「自由でのびのびになる」なんて、はっきり言って夢物語だ。100年はかかる。自分が生きている間には不可能かもしれない。でも、だとしたら、方法は1つしかないじゃないか。

 

「概念に殺されないために、ちゃんとした防具を僕たち自身が用意すること」

 

そのための防具と、生きるための武器を、この本には全て詰め込んだ。

 

この本のタイトルを決めるとき、いくらかの人から「タイトルを変えたほうがいい」と言われた。その理由は、SNSでのシェアのしにくさにある。

 

『転職の思考法』というタイトルは、SNS上でシェアがしづらい。Facebookなど実名でシェアしたら、上司に「こいつ、転職を考えているのか?」と勘ぐられる可能性があるからだ。そして今の日本には、

 

 「転職する人=裏切り者」

 

と思う大人がいるのも事実だ。転職が悪? 僕は、1000年前の脳みそなんじゃないか?と思う。だって、これは変な話じゃないか。誰だって、自分がどこで誰と働くか、は選べるべきだし、結婚・出産の関係で、どうしても一度レールから外れ、転職せざるを得ない人もたくさんいる。それに、そもそも憲法によって職業選択の自由は認められているし、なにより、皆だって実は「他人の事件なら」「優しい」からだ。

 

人は思っているよりも、優しい面がある。たとえば、電通の過労死問題や日本大学のアメフト部問題のニュースを見たとき、日本中が悲しみ、怒った。でも、それを「自分の会社」や、「自分のこと」だと見逃してしまう。つねに見失うのは「自分の足元」なのだ。

 

▼「誰もが憧れるような会社」で働くことは、誰を幸せにする?

 

僕は新卒で博報堂という広告代理店に入った。第一志望だった。

 

でも、社会人になって3年目の帰りの地下鉄で、なんだか涙が出てきたのを覚えている。「このままずっと、今の会社にいていいのか?」と腹の底では感じていたからだ。そして転職を決めた日、当たり前だが、僕はこう感じた。

 

 ・誰もが憧れるような会社で働くことは、幸せに必ずしもつながらない

 

遅い、猛烈に。

バカだと思う。でも、自分にとってはそれが、ベストのタイミングだったのだ。つまり、誰にとっても「自分のキャリアを考えるべき、ベストのタイミングがある」のだ。

 

今は、二人に一人が「人生で一度は転職する時代」と言われる。ずっと先回しにしてきた「あなたの職業人生の設計」について、これを機会に、しっかり、見つめる機会を持たないだろうか?

 

この本を通じて、少しでもモヤモヤが吹っきれたとしたら、これ以上に著者として幸せなことはありません。

 

ーー——以下は実際に読まれた人の感想です

 

「もしも約1年前にこの本に出会っていたら、私はいま、どんな会社にいたのだろう。ページをめくるたびにこれまで考えもしなかった声が私の中に出てきた」(20代、女性、メーカー)

 

「物語形式だったので、主人公に共感できる描写が多く、“情報を見極める思考の軸”の大切さを、よりリアルに感じ取れた」(30代、男性、マスコミ)

 

「転職を考えている人は必ず読むべき本だと言える。一方で、すでに転職をした人が読むと、後悔するかもしれない。自分の転職が正しかったのか、答え合わせができてしまうからだ。」(30代、男性、弁護士)

 

「まさに同年代がどんどん転職していく中、私って売れる技術はないし、今の部署は楽ちんでお給料もそこそこもらえるし、手放すのは惜しい…けどこの会社に未来はあるのか?と言われたら多分ない…と思って日々生きています。製造業で技術をつけてもニッチすぎて転職に使えなかったり、自社ではいい技術だと思われているけど他社では普通だったりするので、製造業には刺さるのではないかと思いました!」(30代前半、女性、製造業開発)

 

「小説の形式ということに、ぐいぐいと引き込まれました!(中略)手に取る方は、占いを読むような感覚で今の自分に当てはめながら読み進められそうです。」(30代、女性、エンタメ業)

 

「ちょうど1年前、初めての転職を経験した者です。内容、端的に言って最高だと思いました。転職する前に読みたかった…!(中略) あと物語形式なのも、良いですね!昔読んだ「嫌われる勇気」を思い出しました」

(28歳、男、出版→コンサル)

 

「イッキ読みできて楽しかったです。20代は専門性、30代は経験、40代は人脈とありその端的な指針がとても腹落ちしました。」(30代、女性、編集業)

 

「皆さんおっしゃっているように、転職を考えてから読むだけでなく、これから就職する人にもとっても有益な内容だと感じました。図解で視覚的に理解も深まりますし、文字数が少ないのに知識がつまっていて、続きが読みたくなりました。」(30代、男性、製造業)

 

「言うなれば、これは「オトナの自己分析」だ。就活の時に行ったような、付け焼き刃のテクニックではない。ビジネスパーソンとして持つべき、一生モノの思考法を分かりやすく、そして、転職に悩む一人の青年を描くストーリーとしてまとめている。」(30代、男性、出版)

 

 「人生100年時代」と言われる昨今、キャリアの築き方の重要性は高まっている。彼(転職先の会社)を見極める方法と合わせて、年代を問わずに勧められる本だが、できるだけ若いうちに出会った方がいいだろう。30代に入り、転職を考え始めた自分がまさに求めていたコンテンツだったことは言うまでもない」

(30代、男性、出版)

 

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