『週報』北野唯我のブログ

北野唯我のブログ、プロフィール、経歴など。人材領域をサイエンティフィックに、金融市場のように捉える為の思考実験の場。

【続編】天才を殺すのは、実は「秀才」ではないか?等への回答10選

 

先週の金曜日、ある記事を書いた。

 

「凡人が天才を殺すことがある理由」

 

yuiga-k.hatenablog.com

 

この記事は、12%の「高いエンゲージメント率」をキープしたまま、大台となるpvを超え、FBシェアだけで5,000を超えた。その過程で、様々な質問や指摘があった。

 

中でも一番嬉しかったのはこれ。

 

 

左ききのエレン」のかっぴーさんのツイート。普段、僕はエゴサーチは1ミリもしない*のですが、この記事は「絶対にバズらせたい。誰か一人で良いので、響いて欲しい」と思って(鬼の形相で)エゴサリツイートしまくった。結果、まさに届いて欲しい人に届いたように感じた。

本当に嬉しかった。クリエイターが命を削りながらモノを作るように、ライターも命を削りながら文章を書くことがある。今回はそれだったからだ。

 

ご協力頂いたみなさんに、感謝しかありません。

エゴサする過程で、とても勉強になるツイートがあった。

 

僕自身も勉強になったので、10の質問だけ、考えたい。勝手に引用したので、もし削除した方がいい方がいれば、すぐ消すのでお教えください。

  

(再掲)天才と秀才と凡人の「軸」

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 Q1:天才を殺すのは、凡人ではなく、意外と「秀才」なのではないか?

 

 

→これは半分、その通りだと感じました。正確にいうと、天才が死ぬには、3つのフェーズがあるのではないか?と思っています。最終的にトドメをさすのは秀才が「ロジック」を凡人にあたえる、そういう構造かと思います。(詳しくは下の図)

 

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 Q2:「共感の神」はどうやったら見つかるのか?

  

 

→これは、ありきたりですが、シンプルに発信することかと思いました。

その際に重要なのは「天才は天才側で、ちょっとだけ、視座をさげること」な気がします。天才も天才側で多少、努力しなければいけないと思います。それをしないで「神様と出会いたい」ってのは、普段、お賽銭していない人が、ピンチになって急に神様を頼る、という構造と同じかと思います。

 

Q3:ちょっと天才を甘やかさすぎではないか?この記事で書かれている、天才は大したことはないのではないか。

  

→重要なのは「幸せの見つけやすさ」だと思います。どんな人の人生にも「理解者」がいた方が、幸せになると思うのですが、天才以外は、数が多いため、同一グループ内で出会う可能性が高い。一方で、天才は絶対数自体が少ない。だから、閾値を超えにくい。よって、僕は「ウェブぐらい、天才を、ちょっとぐらい甘やかしてもいいじゃん。コストゼロじゃん」と思いました。

 

 

Q4:あの考えは、ビジネスや科学の世界では当てはまると感じたが、スポーツの世界では、違うと思うがどうか?

 

→これはなんて素敵なツイートだと思いました。

スポーツはそもそも、同一ルールの中で戦う、どちらかというと秀才のゲームであると思います。ただ、一部のスポーツでは、創造性の余白があるので、そういうスポーツでは天才はいるかと思いました。

 

 

Q5:偶発的に、イノベーションが起きる理由が説明されていないが、どう思うか?

 

→これは鋭く、かつ極めて本質的(=価値のある)な指摘だと感じました。他のは想定していましたが、これは全く想定していない質問でした。この方の知性に感服しました。

今は答えがわからないので、ゆっくり考えていきます。

 

Q6:なぜ、根回し「おじさん」なのか?女性はダメなのか?

 

→「根回しおじさん」というのは、わかりやすいキャッチコピーなので、むしろ、女性の方がおおいのかな?と思いました。ただ、日本では、権力のある男性の方が割合が高いのが現状だと思うので、結果的に「根回しおじさん、お前らの方がもっと頑張れよ!」ということだと思います。

根回しおじさん、僕は人生で3人も、出会ったことがあります。本当に尊敬していますし、出会えたこと自体が、本当に幸運であったと思います。コロボックルみたいなものだと思った方がいいかもしれません。

 

Q7:この理論は、学術、技術的スキルに限らないか?

 

→そうかもしれません。ただ、それ以外の天才はそもそも認識することが難しいので、観測対象としてn数が足りませんでした。

 

 

Q8:天才と秀才と凡人の「定義」がないため、理解できないが。天才と秀才の定義の違いがよく分からない

(参考:いくつかのツイート)

→これはこの質問をしている時点で、この文章のメインターゲットではない、ということだと思います。すみません。

 

Q9:ベン図の中にも入らない、人間がいるのではないか?

(参考:いくつかのツイート)

 

→僕は文書を書くとき、だれかたった一人でもいいので役に立ちたいと思って書いています。一方で、傷つける人の数は出来る限り最小化したいと思っています。メカニズムを解明することで誰かを傷つけるとしたら、そんな知性って価値ありますか?

 ですので、回答としては「そんなことは重々承知ですが、それを書かないことが優しさだと思います」です。

 

Q10:3つの円が重なる人は存在するのか?

(参考:いくつかのツイート)

→いると思います。

 

いずれにせよ、素晴らしいフィードバックを頂き、ありがとうございました。

 

論点:「でもさ。そもそも天才って、社会に必要なのか?」

 

この文章を書いている身として思っていたのは、実は「前提条件」として一番抜けているのは、そもそも、世の中に創造性は必要なのか?ということです。言い換えれば

 

 そもそも「天才」なんて、社会に必要なのか? なぜ必要なのか?

 

ということでした。天才は、確かに正しい方向に社会を進めますが、意図せぬ形で、悪い方向にも進めることもある。となると「創造性」というものは逆にいらない可能性だってあるわけです。つまり「天才なんて不要説」です。

 

ですが、結論をいうと、「それでも僕は必要だと思う」と考えます。なぜかというと2つの理由があります。それは「人口増加による要請」と「経済システムの失敗を調整するため」です。これは説明するのはややこしいので、図に書くと、こういう感じかと思います↓ (分かりにくかったら、スルーしても問題ありません)

 

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でも、これってちょっと、おかしな話です。

 

だって、人口増加というのは、そもそも「科学の発展」によって推進されます。言い換えれば、「天才たちのイノベーション」によって起きる。

 

となると

 

天才たちの功績で→人口が増える→維持コストが増える→バランスを保つために、研究される→イノベーションが起きる→人口が増える

 

という天才→天才への「永久のサイクル」を繰り返しているということ。これ「なんじゃそれ。どっかでピタッと止めろよ」って話なのですが、これは現実的には難しい。なぜなら、「世界は、ベストな状態で止まることができない」からだと思われます。

 

現実世界で「原点ゼロの状態」は、再現されない。

 

先日、よくメディアにも出られている方から、面白い話を聞きました。

 

その方は自分を「バランスを整える人」だと称されていたのですが、世の中は常に「ベストな状態から、少しだけズレる」という話でした。例えるなら、世の中のバランスは振り子のように、どっちかに揺れれば、ぶり返しが起き、原点ゼロの状態にはピタッと止まらない。これ、社会科学の難しさであり、魅力ですね。

 

つまり

 

現実の世界では「原点ゼロの状態」は、再現されない

 

ということです。つまり、天才とそれを支える人たちは「このブレを、整える行為を永久に繰り返しながら、なんとかゼロの状態を目指そうとしている」というわけです。一度動き出したら止まることができない、なんだかマグロみたいな話です。これから「世界はマグロ理論」を唱えたいと思います。(←)

 

まだまだ、世の中には知らないことがありますね。以上、少しでも参考になれば幸いです。 

 

本体の話はこちらから→ 

凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか? - 『週報』

 

※ その他、とっても本質的だと感じたツイート(参考)

 

・天才にはエビデンスがない→ほんまそれ

 

・アンチが多い=天才か? →そうそう!

 ・小室さん天才説 →やめる天才のコピーをつけるときの脳内再生が、まさに小室さんでした

 ・天才=リーダー、秀才=マネージャー、凡人=フォロワーなのか?

 ・共感の神=多様性があるひと? →これは優しい視点だと感じました

・知り合いからのツイート。嬉しい

 ・この褒め方こそが、最高にクール。

 

ではまた! 

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凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?

 

 

 「どうして、人間の創造性は、奪われてしまうのだろうか」

 

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 ー 天才と呼ばれる人がいる

 

天才は、この世界を良くも悪くも、前進させることが多い。だが、彼らは変革の途中で、殺されることも多い。それは物理的な意味も、精神的な意味も含めてだ。

 

以前から、そのメカニズムを解き明かしたいと思っていた。そしてようやくわかった。

 

天才は、凡人によって殺されることがある。そして、その理由の99.9%は「コミュニケーションの断絶」によるものであり、これは「大企業がイノベーションを起こせない理由」と同じ構造である。

 

どういうことか?

 

「天才と秀才と凡人」の関係を、図で書くとこうなる

 

まず、天才と秀才と普通の人(=凡人と定義)の関係を整理するとこうなる。

 

 

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まず、天才は、秀才に対して「興味がない」。一方で、凡人に対しては意外にも「理解してほしい」と思っている。

 

なぜなら、天才の役割とは、世界を前進させることであり、それは「凡人」の協力なしには成り立たないからだ。加えて「商業的な成功」のほとんどは、大多数を占める凡人が握っていることも多い。さらにいうと、幼少期から天才は凡人によって虐げられ、苛められてきたケースも多く「理解されたい」という気持ちが根強く存在するからだ。

 

だが、反対に、凡人→天才への気持ちは、冷たいものだ。

 

凡人は、成果を出す前の天才を認知できないため、「できるだけ、排斥しよう」とする傾向にある。この「天才→←凡人」の間にある、コミュニケーションの断絶こそが、天才を殺す要因である。

 

コミュニケーションの断絶は「軸と評価」の2つの軸で、起こりえる

 

そもそも、コミュニケーションの断絶は「軸と評価」の2つで起こり得る。

 

  • 軸……その人が「価値」を判断する上で、前提となるもの。絶対的
  • 評価……軸に基づいて「Good」や「Bad」を評価すること。相対的

 

例えば、あなたがサッカーを好きだとする。友人はサッカーが嫌いだとしよう。

 

二人は喧嘩した。この時のコミュニケーションの断絶は「評価」によるものだ。具体的には相手の考えに対して「共感できるかどうか」で決まる。「鹿島アントラーズが好きだ」という評価に、共感できれば、Goodであり、共感できないとBadである。

 

だが、この「評価」は、変わることがある。

 

例えば、あなたと友人は夜通し語りあい、あなたは「鹿島アントラーズ」の魅力をパワーポイントを使って説明したとしよう。友人は、その話聞いてとても共感したようだ。この時、Good or Badという「評価」が変わったわけだ。

 

このように「Good or Badという評価」は相対的である一方で、「共感できるかどうかで、決めること」は絶対的なものだ。「評価」は対話によって、変わることがあるが、「軸」は変わることがない。したがって、「軸が異なること」による、コミュニケーションの断絶は、とてつもなく「平行線に近いもの」になる。

 

そして、天才と秀才と凡人は、この「軸」が根本的に違う。

 

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天才は「創造性」という軸で、ものごとを評価する。対して、秀才は「再現性(≒ロジック)」、凡人は「共感性」で評価する。

 

より具体的にいうと、天才は「世界を良くするという意味で、創造的か」で評価をとる一方で、凡人は「その人や考えが、共感できるか」で評価をとる。

 

したがって、天才と凡人は「軸」が根本的に異なる。

 

本来であればこの「軸」に優劣はない。だが、問題は「人数の差」である。人間の数は、凡人>>>>>>>天才である、数百万倍近い差がある。したがって、凡人がその気になれば、天才を殺すことは極めて簡単なのである。

 

歴史上の人物で、最も分かりやすい例は、イエスキリストだろうし、もっと卑近な例でいうと、かつてのホリエモンがわかりやすい。

 

大企業でイノベーションが起きないのは、3つの「軸」を1つのKPIで測るからである

 

そして、最近、これは「大企業で、イノベーションが起きないメカニズム」と全く同じだと気付いた。つまり、大企業でイノベーションが起きない理由も「3つの軸を1つのKPIで測るから」なのだ。

 

かつて、自分が大企業で働いていたとき、経理財務として「社内のイノベーションコンテスト」に関わっていたことがある。その時に、強烈な違和感を感じた理由が、今スタートアップに来てわかった。

 

革新的な事業というのは、既存のKPIでは「絶対に測れないもの」なのだ。

 

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全ての偉大なビジネスは「作って→拡大され→金を生み出す」というプロセスに乗っとっているが、それぞれに適したKPI(Key performance indicator)は異なる。そのうち、「拡大」と「金を生む」のフェーズのKPIは、分かりやすい。

 

拡大は「事業KPI」で見れるし、金を生むフェーズは「財務上のKPI」ではかることができる。経営学の発展によって、プロセスが十分に科学されてきた功績だ。(詳細は上の表をご覧いただきたい)

 

問題は「創造性」である。

 

言い換えれば「天才か、どうか」を、指標で測る方法がないことである。

 

創造性は、直接観測できないが、凡人からの「反発の量」で間接的に測ることができる

 

結論をいうと「創造性」は、直接観測することはできない。そもそも、創造的なものとは、既存の枠組みに当てはまらないため、フレームが存在しないからだ。

 

しかし、ある方法を使えば、“間接的”には観測することができる。それが「反発の量」である。

 

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これはAirbnbの例が分かりやすい。AirbnbUberは、リリースされた時、社会から「強烈な反発」を受けた。あるいは、優れた芸術には、ある種の「恐さ」が必要と言われる。つまり、凡人の感情を観測すれば、「創造性」が間接的に観測可能なのである。

 

これをビジネス文脈でいうと、こうだ。

 

本来、企業は、破壊的なイノベーションを起こすには「反発の量(と深さ)」をKPIに置くべきであるが、これは普通できない。なぜなら、大企業は「多くの凡人(=普通の人)によって支えられているビジネス」だからだ。反発の量をKPIに起き、加速させることは、自分の会社を潰すリスクになる。これが、破壊的イノベーションの理論(クレイトンクリステンセン)を人間力学から解説した構造になる。

 

では、どうすればいいのか? どう天才を守ればいいのか?

 

というのも、本来は、3者は協働できるケースも多い。コミュニケーションの「軸」は異なっても、「実は言っていることは同じ」であることはマジで多い。となると「コミュニケーションの断絶による、天才の死」は不幸でしかない。

 

世界の崩壊を防ぐ、「3人のアンバサダー」

 

コミュニケーションの断絶を防ぐ際に、活躍する人間がいる。

 

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まず、「エリートスーパーマン」と呼ばれる人種は、「高い創造性と、論理性」を兼ね備えている。だが、共感性は1ミリもない。分かりやすいアナロジーでいうと、投資銀行にいるような人だ。

 

次に「最強の実行者」と呼ばれる人は、何をやってもうまくいく、「めちゃくちゃ要領の良い」人物だ。彼らは、ロジックをただ単に押し付けるだけではなく、人の気持ちも理解できる。結果的に、一番多くの人の気持ちを動かせ、会社ではエースと呼ばれている。(そして、一番モテる)

 

最後に「病める天才」は、一発屋のクリエイターがわかりやすい。高いクリエイティビティを持ちつつも、共感性も持っているため、凡人の気持ちもわかる。優しさもある。よって、爆発的なヒットを生み出せる。ただし、「再現性」がないため、ムラが激しい。結果的に、自殺したり、病むことが多い。

 

まず、世界が崩壊していないのは、この「3人のアンバサダー」によるところが多い。

 

天才を救う「共感の神」:大企業に必要な「若い才能と、根回しおじさん」理論

 

先日、とある「超大企業」の方と議論したとき面白い気づきがあった。

 

それは、大企業がイノベーションを起こすために必要なのは「若くて才能のある人と、根回しおじさんだ」という話だった。これを「天才と、根回しおじさん理論」と呼びたい。

 

言わずもがなだが、大企業のほとんどは「根回し」が極めて重要だ。新しいことやるには、様々な部署に根回ししないといけない。だが、天才は「創造性」はあるが、「再現性」や「共感性」は低いため、普通の人々を説得できない。骨が折れる。だから、天才がそれを実現するために必要なのは「若くて才能のある人物を、裏側でサポートする人物」なのだ。つまり「根回しおじさん」と呼ばれる人物である。

 

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僕は、これと全く同じことを考えていた。というのも、凡人と呼ばれる人の中には、「あまりに共感性が高くて、誰が天才かを見極める人」がいるのだ。それを「共感の神」と呼んでいる。

 

共感の神は、人間関係の機敏な動きに気がつく。結果的に、人間の関係図から「誰が天才で、誰が秀才か」を見極め、天才の考えを理解することができる。イメージでいうと、太宰治の心中に巻き込まれた女、がわかりやすい。

 

多くの天才は、理解されないがゆえに死を選ぶ。だが、この「共感の神」によって理解され、支えられ、なんとか世の中に居続けることができる。共感の神は、人間関係の天才であるため、天才をサポートすることができる

 

これが、人間力学からみた「世界が進化していくメカニズム」なのだ。

 

天才は、共感の神によって支えられ、創作活動ができる。そして、天才が産み出したものは、エリートスーパーマンと秀才によって「再現性」をもたらされ、最強の実行者を通じて、人々に「共感」されていく。こうやって世界は進んでいく。これが人間力学からみた「世界が進化するメカニズム」だ。

 

なぜ、こんな記事を書いたのか?

 

なぜ、こんな意味不明なブログを書いたのか? 

 

少し前、ある上場企業の役員と話したとき、こう聞かれた。

 

「北野さん、あのブログって、いったい、どこを目指しているんですか(←)。そもそも、人材領域にどれぐらい思い入れがあるんですか?」

 

人材領域への思い入れについて言うと、正直、僕は、普通の学生さんへの就活支援には、あんまり強い思い入れはない。なぜなら、僕らがサポートしなくても、他の素晴らしいサービスがあるし、きっと良い会社に巡り合えるからだ。

 

だが、マイノリティへの支援には強い思い入れがある。この世界、特にこの国は、天才と呼ばれるような「他の人と少し違う子」は圧倒的に生きにくい。そして僕がもしも、彼らの才能を正確に理解し、背中を押してあげることができるとしたら、それにはめちゃくちゃ強い思い入れがある。自分もどちらかというと「日本社会の不適合者」だからだ。

 

だが、これまでは、その天才をサポートするための「理論」や「セオリー」がわかっていなかった。今回、この記事を書くことで、自分のそれが整理され、結果的に、たった1人でも「天才」が救われたとしたら、これ以上に意味のあることはあるだろうか?

 

同様に、企業に対しても同じ気持だ。僕が人材マーケットで一番やりたいことの1つは

 

成長産業へ、優秀な人を紹介すること

 

だ。日本には「優良だが、知名度のないスタートアップ」がたくさんある。彼らを支援することは、世の中のためになると確信している。だが、これまではその実力がなかった。おかげさまで、それの採用を支援するための土台がようやくできてきた。これを実現していきたい。

 

【後編:Q&A】が公開されました↓ 

【続編】天才を殺すのは、実は「秀才」ではないか?等への回答10選【5000シェア超!】 - 『週報』

 

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🙇‍♂️

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多くの経営者が魅力的である理由。ー ゴリラに学ぶ「戦わずして勝つ」思考法

 

 

孫氏いわく「戦わずして勝つ」が最強だが、

 

これは生物界でも同じだ。

 

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例えばゴリラはドラミングをして、互いの種を攻撃しあうことを避ける。なぜなら、攻撃しあうことは、結果「種としての生存確率を下げること」が明白だからだ。同様に、真に賢い人間こそ、無駄な敵は作らない。優秀な経営者がその典型例だ。

 

だとしたら本質的に考えるべきは、これである。

 

 戦わずして勝つが最強だが、問題は「どうその状況を作るのか?」である

 

 

99.9%は、戦略では大差をつけられない。ベゾスでない限りね

 

先日、リディラバの安部さんと話した。リディラバは「社会の無関心を打破する」を軸に、スタディツアーや、メディアを運営している法人だ。代表の安部さんは、同年代の中では抜群に頭のキレる人物だった。彼と盛り上がった話がある。要約するとそれは

 

 短期的なROIが低い施策の方が、実は、差別化要因になりえる

 

ということだった。

 

分かりにくいと思うので、補足すると、以下の議論を見て欲しい。これは、楽天の創業メンバーで、現在教育現場にいる本城氏への取材だ。

 

北野:僕が実務家として思うのは、ビジネスに成功している人ってどこかのタイミングで、教育に興味をもつ人が多いですよね。その理由って、多分、「教育」って、短期的なROI(※)がもっとも低くて、それでいて長期的には、もっともROIが高いからだと思うんですよ。合理的で、成功した人は、短期的なリターンを求める必要がないから、教育に興味がいく。こういう構造な気がします。本城さんはなぜだと思いますか?

 

(※)ROI…「Return On Investment」投資利益率。投資額と,それが生む利益との比率。投資効率の指標の一。

 

本城:教育って、ある意味、みんなプロなんですよね。みんな、かなりの時間教育の受け手になっている。言いたいことも山ほどある。よく1万時間やると何でもプロになるというと思うんですけど、みんな小中の授業時間だけで1万時間超えますし、だからやりたがるし、言いたがる人が多い。

 

あとは経営者の方たちというのは、人のことで苦労することが多いですよね。後継者とか組織とか……。そうすると突き詰めると社員教育というよりは、その手前にある学校教育にも意識がいくのではないでしょうか。時間がかかるし、難しいし、手間がかかるというのは魅力的にうつると思います。

https://www.onecareer.jp/articles/1209

 

そう!これなのだ。つまり、教育は短期的にはROIが最も低く、長期的に見ると最も高い行為の1つ。だから、成功した人ほどここにたどり着きやすい。

 

加えて、リディラバの安部氏は、面白い考察をしていた。いわく、

 

投資ファンドや上場企業は、5年程度での「回収」を求められる。だから、よくよく話を聞いてみると、意外と何も考えていない(←)。ということは、小さな会社やベンチャーは「5年では回収できないが、長期で見ると、大きく回収できる領域」で戦うのがベストであると。これは面白い考察だ。

 

あるいは別の話もある。

 

先日、ビズリーチの役員・関氏と話した際も、同様の話題で盛り上がった。彼は、エンジニア→マッキンゼー→起業→ビズリーチ役員という、眩しくて目を向けられないぐらい優秀な方だった。

 

(参考)

newspicks.com

 

その際も、盛り上がったのは「最も重要なのは、エグゼキューション(実行)である」ということだった。僕も一応、新卒から経営戦略に携わる仕事をかれこれ、7年近く担当してきたが、実感として感じる。なぜなら

 

 99.9%のケースでは、戦略では大差がつけられない。
 だって、簡単にパクれるからだ。

 

一定レベル以上の賢い人にとって、戦略は「模倣可能なゲーム」

 

厳密にいうと、戦略というのは極めて重要だが、一定レベル以上の賢い人にとって、それは「模倣可能なゲーム」なのである。後はそのゲームを、何Hのめり込むことができるか、で結果に差がつく。そういう構造だ。

 

となると面白い。なぜなら「本当に賢い人間同士」がぶつかったときは、差別化する要因がなくなってしまうからだ。これはある種、ゲーム理論の「均衡」に近い。

 

これで、ようやく、本質的な問いに答える準備ができた。つまり、問題はどうやって「戦わずに勝つ状態を、事前に作るか」である。

 

 ▼ここまでの要約

 あるレベルの賢い人→戦略はパクれる。だから、実行で差がつく

 真に賢い人→戦略はパクリ、その上で実行もできる。だから差がつきにくい

 もっともっと賢い人→戦わずにして勝つ状態を、事前に作る

 

 

覚悟が決まっている人間が、最も手強い

 

どうやって戦わずにして勝つか?

 

結論をいうとそれは「圧倒的な覚悟を決めること」「見せつけること」だと今は思う。ビジネスパーソンとして、どんな敵が一番強いのか、と言われると、それは間違いなく覚悟を決めた人間である。

 

何度失敗しても、立ち上がり、何度でも、未来に向かう人間。「覚悟した人間」は倒すことができない。そもそも、失敗という概念がないからだ。(これは最近だと、藤田さんが、アベマTVに200億円ぶっこんでいる話が、一番分かりやすいと思われる)

 

そして僕らは、圧倒的な覚悟を見せつけられたとき、悟る。「こいつには絶対勝てない」と。なぜなら、多くの人にとって、覚悟というのは絶望の淵にたどり着いて初めて得られるものだからだ。僕らのように、挑戦する“前の人間”には「覚悟」は持とうと思っても持てない構造なのだ。

 

圧倒的な覚悟をもつこと、これこそが、最強の一手なのである。

 

究極の覚悟とは死である。不思議だが、覚悟すると、人が寄ってくる

 

覚悟を持つことは、実は、副次的なメリットもある。その1つは「人が寄ってくること」だと思う。最強の覚悟とは、当然「死」であるが、面白いのは、人生のタイミングで、死と直面し、覚悟した人間には「人が集まってくる」のだ。

 

逆説的では、ないだろうか?

 

死というと、暗いイメージが伴う。だがむしろ結果は逆なのだ。覚悟を持った人間には過去は見えていない。未来しか見えない。そして、「過去」には他者が入るこむ余地はないが、「未来」には他者が入り込む余地がある。そして人間は、自分が入り込む余地がある場所に、入る。

 

しかも、どうでもいい人ではない、「凄いやつ」ほど寄ってくるのだ。面白い。

 

これは実体験がある。

 

「覚悟を持って挑む人間」に、周りは優しい

(ただし凄いやつからね)

 

小さい頃から、僕は英語がコンプレックスであった。どれぐらい英語が話せなかったかというと、25歳ぐらいのとき、TOEICは多分、300点ぐらいだった。だが、それを半年で、ほぼ満点にあげた。ついでに、同様の方法で、中国語も3ヶ月でHSK5級という、二級相当に当たる資格を取得した。

 

この話をすると、「なぜ、そんな短期間で語学を習得できたのか」と問われるが、方法論もあるが、もう1つは、覚悟を見せたことである。というか、覚悟を持たざるを得なかったからだ。(詳細は省くが、お金もないし、保険もない、英語もできない状態で、生きるのに必死だったからである)

 

そして「覚悟を持って挑む人間」に周りは優しい。応援してくれるのだ。いろんな人が、「これもやってみたら?」「この人に会ってみたら?」と紹介してくれたのだ。その応援があったからこそ、半年でそれなりには話せるようになった。これが「覚悟を持った人間に人は集まる」という実体験だ。

 

何が言いたいか。

 

つまり、覚悟とは

 

 強力なライバルを事前に避け、優秀な仲間を集める、最強の1手

 

なのである。(しかもゼロ円だ!)

 

多くの経営者が魅力的なのは、この理由である。

(ゴリラから学んでいないね、ごめんなさい)

 

本が出ます、多分

 

最後に、ご縁あり、初めての単著がでます。しかも大好きな出版社さんから。頑張ります。