『週報』北野唯我のブログ

北野唯我のブログ、プロフィール、経歴など。人材領域をサイエンティフィックに、金融市場のように捉える為の思考実験の場。

「年俸1億サラリーマン」を観光業に生めるかが日本経済の行く末を決める理由を話します

 

 

私は、よくこう考えます。

 

—   もしも、「すべての努力が報われない」としても、それでも人々は頑張り続けることができるだろうか? と。

 

私たち日本人は、小さい頃から常にこうやって教わってきました。

 

努力は報われると。

 

しかし、ことビジネスの世界においては、必ずしも努力は報われるわけではない。例えば、あなたの給料の期待値は「一番、最初にどの産業を選ぶのか?」によって実はほとんど決まっている。そして人は「努力が報われない」と気付いた瞬間に、無力な人間に変わる。これもまた事実だと思うのです。

 

給料が1,000万円以上になれる確率は、産業によって、最大20倍近く違う

 

私がそう語る理由は、シンプルなデータから始まる。

 

 

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上の図は産業間における給料のばらつきを表している。例えば、年収1,000万円以上もらっている人の割合は、金融・保険業界では16%だが、宿泊・飲食サービス業はわずか0.8%しかない。簡易化して言えば、1,000万円以上給料もらえる確率は、産業間で最大20倍近く違うのだ。

 

ではこのばらつきは、何によって規定されるのかというと、それは産業別の「一人当たりのGDP(労働生産性)」によって大きく規定されている。

 

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上の図は、「一人当たりのGDP」と「年収1,000万円以上の人の割合」をプロットしている。(異常値である不動産を除くと)明らかに相関していることがわかる。わかりやすく言うと「業界の生産性が高いと、給料も高い」ということだ。給料の原資は、収益から出されるため、当たり前の話だ。

 

問題は「マクロで見たとき」にある。

 

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上の図は、毎年の「入職者数」を表している。入職者とは「新しく働き始めた人の数」を指す。

 

問題は、赤く囲った部分であり、これは「労働生産性の低い3つの産業」をくくっている。この表を見れば、毎年100万人*に近い人々(94万)が最も生産性が低い3つの産業に流れ込んでいることがわかる。100万人というのは、毎年、新たに働き始める人口*の35%に値する。そして生産性は、産業によって、最大で26倍の差があるため、そもそもこの状態で日本全体の「生産性」は、上がる可能性はほぼないのだ。

 

* 入職者数のうち、転職入職者数を除いた値

 

この状況を例えるのであれば、毎年100万人の若い兵隊が、死の「戦場」に進んでいくことを、僕らは見逃しているようなものだ。

 

おそらくあなたはこう思うかもしれない。

 

「ふーん」

 

だが、これを個人の視点に変えてみると話の印象は少し変わる。

 

このロジックが正しければ、人が、どれだけ頑張ったとしてもそもそも選ぶ産業を間違った時点で、給料の上限は、ほぼ決定付けられる。そして、多くの統計で示されたように、人は仕事選びで重要視する項目には必ず、「給料」や「昇級の可能性」が入る。100万人に近い若者の実態は、毎年、未来に希望を持ちながらも、歳をとり初めて「自分が豊かになる可能性がない」ことを気づくのだ。

 

だから僕は少しでも変えたいと思って、HRマーケットのフィールドにいる。

 

最も生産性の低い「宿泊業・飲食サービス業」を軸とした、観光業は成長のポテンシャルがある

 

では、どこに希望を見出せばいいのか?

 

答えの1つは、雇用数が多く、かつ、「生産性」に改善のポテンシャルがある業界にある。

 

そもそも、その産業の生産性に、改善のポテンシャルがあるかどうかは、「どれだけレバレッジをかけられるか」という産業のルールによって規定されている。例えば、金融に代表とされる産業はレバレッジがかけられるため、1時間当たりの利益の上限が実質的に存在しない。だから「金持ちのサラリーマン」が多く存在できる。

 

そして改善する余地がある産業の1つは、日本の観光業だと私は思う。観光業は本来的には「生産性に上限がほぼない」からだ。(観光業のポテンシャルは、デービッド・アトキンソンがその著書でも指摘している)

 

例えば世界で最も来訪者が多い観光地の1つである、ナイアガラの滝は年間で2,200万人*の人が訪れ、なんと6億ドル(670億円)*もの経済効果を生み出す。そして、それにかかるコストは維持費や人件費といった僅かな金額である。粗利率は、上限近いレベルの数字になると推測される。

 

http://www.huffingtonpost.com/2014/02/26/most-visited-attractions_n_4858066.html

https://www.niagarafallsusa.com/about-us/tourism-impact/

 

一方で、ほとんどの観光地は、キャッシュを生み出さない事は説明するまでもないだろう。

 

つまり、本来、観光業のルールとは、「就業者1人あたりの生産性に、天井と底が存在しない*」産業なのである。それがこのビジネスのルールであり、それが故に、レバレッジが最大限にかかると、観光業1本で、国の経済が存在することができるレベルになるわけだ。

 

*厳密にいうと、底(0)はある。

 

では、そんな観光業が発展する上でボトルネックになるものはなにか?

 

それは「給料システムが古いこと」だと私は思う。

 

観光業は「生産性に上限がない」ため、理論上は給料も青天井であるべき

 

本来であれば、観光業は、利益を出せば出すほど、その人に給料が還元されると言うシステムを作りやすい。稼いだ人と、稼がない人の差(給料のボラティリティー)が大きくなる仕組みだ。だが実態は、観光業を中心した産業は給料のばらつきが少なく、期待値も低い。

 

もちろん、観光庁もこの現場に疑問を持ち、「MBA人物の育成」などを唱えている。だがこれは今の給料の実態を鑑みると、完全に「絵に描いた餅」だと言わざるを得ない。

 

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私が言いたいことの1つ目は、観光業がまずやるべき事は、その古い給料形態を破壊し、優秀な人材に対して高いフィーを払うための人事制度システムの構築だということだ。

 

わかりやすいアナロジーでいうと、今日本に必要なのは

 

—   観光業に勤める「年収1億円のビジネスパーソン

これだと思うのだ。

 

日本の「給料システム」の2つの欠点

 

さて、そろそろ終わりにしたい。

 

今の日本社会には給料に関する2つの問題がある。1つは、「メジャーリーグ問題」と私が呼ぶものだ。

 

今の日本は、飛び抜けた人材が外資系企業に行かざるを得ない構造がある。一般的に外資系企業の方が伝統的な日系企業よりも給料のボラティリティ(ばらつき)が大きい。したがって企業内において異常値をたたき出す人材は、その評価を適切に求めるために外資系企業に行かざるを得ない。プロ野球で飛び抜けた人材がメジャーにいくのと、全く同じ構造だ。

 

アマゾンを代表とした有力外資企業が本当にシェアを伸ばしているのは、優秀な人材と言うその国家の源泉力の割合だ。これが1つ目の「メジャーリーグ問題」だ。

 

2つ目の問題は、産業の内部で、優秀な人材が育たないことにある。

 

想像してみてほしい。あなたは今2つのジョブオファーをもらっている。

 

1つは、古くて官僚的な会社で、給料が1,000万円以上になる可能性はほぼ0%である。一方でもう一つの会社(プライベートエクイティなど)は、数十倍近い給料をもらえる可能性が高い。加えて、自分たちが動かせる金額も、スピードも桁が違う。あなたがもし優秀なビジネスパーソンだとしたら、本当に前者を選ぶだろうか?

 

この状態で優秀な人材を内製化することは極めて難しい。結果、産業外から人を招聘せざるを得ない。2つ目の問題は「人材の内製化」が難しいということだ。

 

オールドエコノミーに優秀な人材を引きつけるには、根性論より「ボラティリティが適した人事システム」

 

私は何も金が全てだ、というつもりは全くない。むしろ自分自身は大企業を2度辞めていることもあり、どちらかというとロマンを追う人間だ。だが、ビジネスロジックの世界の中で、自分が「極めて少数派の人間」であることも自覚している。私が言いたいのはシンプルな話だ。

 

適切な価値を出した人が、適切に評価される、

その世界のほうが健全だと思わないだろうか?

そのために産業単位で給料のボラティリティを設計しなおす必要がある。

  

 
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「仕事を失いたくない」それしか仕事に求めない僕らの悲しい現実

今から私は少しだけ悲しい話をします。

 

それは日本人が実は「思考停止したロボットだ」と言う話です。私や皆さんのご両親は、家庭の中では人間味のある優しい人かもしれません。ですが、職場においては悲しいですが、「思考停止したロボット」になっている。それが今の日本の仕事に対する現状だ、という話です。

 

そう語る私の根拠はまず、2つのデータから始まります。1つ目は「労働時間」。2つ目は「仕事への満足度」です。まずは下の図を見てください。

 

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https://data.oecd.org/emp/hours-worked.htm

 

まず、事実として、日本は先進国の中で「圧倒的に労働時間の長い国」というわけではありません。むしろOECDの平均で見ると、ここ10年での急激な改善の結果、平均よりわずかに下回り、先進国の中でも、韓国、米国よりは短い状態にあります。よく誰かが「日本人は異常なぐらい働く」と論じますが、それは5年前の話なのです。

 

では、問題はどこかというとやはり、労働生産性です。就業者数あたり、労働時間あたりで見ると、先進国の中では約15~25%低く、アメリカと比べると6割程度の水準になっています。GDPが1兆円を超える国の中で、日本より生産性の低い国は、韓国・メキシコぐらいしかありません*。

*OECD加盟

 

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http://www.jpc-net.jp/intl_comparison/intl_comparison_2016.pdf

 

 

もちろんそれでいて、人々が喜んで仕事をしているのであれば、問題ありません。仕事は人生の時間の大部分を占めるものです。

 

しかし現状は違います。日本は先進国の中でもっとも仕事に対する満足度が低い*のです。つまり言い換えれば、楽しくない仕事を生産性が低い状態でしている、古いロボットのように働いている。それが今の日本の現状なのです。

 

ではそんな私たち大人は、一体何を考えて普段働いているのでしょうか。ここでも1つ悲しいデータがあります。下の図は仕事における重要な要素の国際比較の図です。

 

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 https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_06/090602.pdf

 

上の表を見てください。日本人の特徴は、「何一つとして平均を上回っているものがないこと」だとわかります。仕事に対して何一つ重要視するものがないのです。あえて絶対値ベースで語るのであれば、人々は「ただ単に仕事を失いたくたくない」という一心で働いているとわかります。

 

ようやく日本人の姿が見えてきたのではないでしょうか。つまり長時間、労働生産性も低い仕事を、人々は「仕事を失いたくない」という、その一心で働いている。言い換えれば奴隷。それが日本の現状なのです。

 

しかも、そんな私たちは、頭も悪いのです。

 

仕事が嫌いになった大人は、50歳近くになったころ、自分の「定年までの年数」を数え始めます。自分が仕事を辞めて解放される「その日」を指折り数えるようになるのです。

 

ですが現実はそう甘くありません。今の日本の人口動態を考えると、定年は70歳、あるいは80歳になると言われています*。ですが、このことを知っている大人は、そう多くありません。彼らは自分の思っていた「定年」の直前になって、さらに15年働き続けなければならないと知るのです。「解放されること」を夢見て働きながらも、その懲役はまだ続くのです。

*life shiftより

 

ここまで聞いて、きっとあなたは不思議に思うでしょう。

 

だってそんなに嫌なのであれば、仕事を変え、他の職場に移ることだってできます。ですが、ここにも絶望的な壁が立ちふさがっています。今の日本の働き方では「年を取ると、あなたの価値は下がる」傾向にあるのです。

 

まずデータを見てみましょう。日本人は諸外国に比べて、転職する人が少ない傾向にあります。

 

f:id:yuiga-k:20170718135912p:plainhttps://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_06/090602.pdf

 

これ自体に別に良し悪しはありません。問題は、統計データによると、実際に転職することによって給料の上がる可能性は一定の年齢を超える(50歳)と急激に下がる傾向があることです。まるで時限爆弾のようなものです。

 

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 http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/doukou/16-2/dl/gaikyou.pdf

 

 転職時の給料と言うのは、端的に言えばその人の労働市場での価値です。すなわち、本来であれば歳をとればとるほど経験を積むわけですから、価値が上がる可能性は高まるべきです。しかし50歳を超えると、その人の市場価値は上がるどころか下がっていくのです。仕事に絶望を見出した人々はこれを直感的に知っているため、30代〜40代から会社の中で生き残ることを第一に動き始めるわけです。

 

ここまで悲しい現実ばかり述べてきてすみません。

 

ですが、未来を担う学生のみなさんには、まず現状を理解して欲しかったのです。では一体なぜ日本はこんなことになってしまったのでしょうか。

 

理由は複合的でいくつもありますが、ここでは3つの観点から述べたいと思います。具体的には個人、社会、システムの3つです。

 

1つ目は、個人です。言い換えれば「個人の意思決定能力」です。日本に限らず、全ての国の教育はいくつかの課題を抱えています。その中で、日本の教育課題かつ、就業観に影響を与える問題は、価値観を持つ、あるいは何かに基づいて意思決定を行うということを若い頃に学ばないことです。つまり、「何が大事か」を明確にすることです。

 

というのも、そもそも誰にとってもベストである仕事というのは存在しません。1つの価値観に基づいて自分が重要であると思うこと、それが好きだと判断することしかありません。しかし、今の教育は絶対的な正解を導き出すように訓練されています。「個人の意思決定を行う」、そのための訓練がなされていないのです。

 

もしも多くの人が、自分の価値観に基づき重要であるものを定義できたとしたら、たとえ仕事の生産性が低かったとしても、我々は満足できるはずです。

 

これが1つ目です。

 

2つ目は社会です。

言い換えれば、日本人がなんとなく感じている「共通の価値観」です。具体的には「真面目すぎること」や、「挑戦することに対する過度な恐怖心」です。日本にはなぜか、3年は仕事を続けなければならない、転職する人間は1つの会社で勤めることができない根性のない人間だ、あるいは他の人が頑張ってるのだから自分も長時間働けなければならない、と言う暗黙の価値観があります。もちろん、これは悪いことばかりではありません。

 

一方で、日本人は真面目すぎるが故に、「そんなに嫌であれば転職すればいいのに」という考えが生まれてこないのです。それはレールからドロップアウトすることに対する過度な恐怖心を生み出しているのです。上述のデータのように、50歳までは、日本でも意外と「転職すれば給料が上がる可能性」が高いのにもかかわらずです。

 

3つ目はシステムの問題です。

より具体的には、正社員の労働マーケットの流動性が低いことにあります。そもそも経済が継続的に発展していくためには、成長する産業に適切な人数の労働者が配置されている必要があります。しかし、それを事前に予測することは神様でも不可能に近いのが現状です。したがって国という有機体は「流動性を担保すること」でそれを担います。日本の就職マーケットは、職種ではなく会社単位で就職活動を行います。そのため、結果的に生まれるのは「個別の企業で最適された労働力」であり、彼らは会社を簡単に辞めることができないのです。これが3つ目です。

 

では、どうすれば良いのでしょうか。これは個人でできる部分と、システムを変えべき部分の両方があります。

 

まずシステムの部分については、私の中で2つの答えが出ています。一つは「職種別採用の割合を増やすこと」であり、もう一つは、成長産業に対して適した人数の人材が配置されるよう「公平性を保つシステムを持つこと」です。この論はまた別の記事で説明します。

 

では、個人としては何ができるのでしょうか。こちらも、私は2つあると思っています。

 

一つ目は会社名ではなく、職種や業種によって仕事を選ぶ観点を持つことです。ある職種でプロフェッショナルになる(=付加価値を出せる)ということは、転職を容易にします。これはあなたが新しいチャンスを手にした時に役立ちますし、会社で直面する理不尽に対し「ノー」と言うための強い武器になります。そして「ノー」と言える武器をもつことは、あなたの仕事に対する満足度を急激に高めます。

 

もう一つは、学ぶことに対する価値観を180度、変えることです。私が小さいころ、よくこういう意見を耳にしました。「今のうちに、しっかり勉強しておくと、将来楽になるよ」と。

 

ですがこれはおかしい話です。本来、勉強すればするほど、仕事をすればするほど、技術は高まりいろんなことができるはずです。ですが一般的に言われる勉強するメリットというのは、その反対であり、楽をするために存在していると言われるのです。でもこれは嘘です。人は学べば学ぶほど、誰かのためになることができ、世の中に対してできることが増えていくはずなのです。それがいつしか思考停止した大人の言葉によって、勉強は将来のリスクヘッジでしかなくなったのです。思考停止した人間は、頑張る人を馬鹿にし足を引っ張ります。日本の今の絶望的な労働マーケットはこの思考停止の連鎖によって生まれているのです。

 

一体、私は、何が言いたいのしょうか。

 

それは私たちに力を貸してほしい。ただそれだけです。私は既に労働マーケットにおいてあるべき未来の答えをほぼ持っています。しかし、同時に、私一人では何もできないことも痛感しています。だから今一歩ずつですが、労働マーケットを変えようと地道に活動しています。現に、その第一歩として、全ての人が経験する新卒採用における、「理不尽な体験」をなくすための活動を始めました。日本の新卒マーケットには未だに、採用する側と採用される側のパワーの差を利用し、オワハラが存在します。水をかける、性的関係を求められる、脅しのようなことがまだ存在しています。

 

なぜ社内のパワハラは問題になるのに、社外の、しかも弱い立場の人間に対してのそういった行為は許されているのでしょうか。

 

私が言いたいことはただ一つ。

あなたに力を貸してほしい、ただそれだけなのです。

 

 

 

 

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あなたが作る「オワハラ調査2018」始動

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↑こういうのもやってます

 

 

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今後の人材エージェントの唯一の社会的価値。チョッパーを見つけた「ルフィ」編

 

ある時、私はONE PIECEを1.4倍速で見ながら、ふと、こう思いました。

 

  チョッパーって、ルフィに付いていって本当に幸せだったのかな?と。

 

チョッパーは作品の中で、元いた島を離れ、麦わらの一味に入ることを決意しますが、これは冷静に考えてみると「死ぬかもしれないリスキーな旅」です。例えるならシード期のベンチャーに入るようなものです。そこで幼い頃の私は、チョッパーは今、本当のところ、どう思っているのか、それを想像しました。最終的に私が結論としてたどり着いたのは

 

 海賊王ルフィは、類稀なるリーダーであると同時に、類稀なる「人材エージェント」でもあった

 

ということでした。

 

どういうことでしょう?

 

論点:転職で、幸せになれる人と、なれない人の違いはなにか?

 

まずそもそも、チョッパーが麦わらの一味に加わった行為は経済活動の視点からいうと、完全に「転職行為」です。(1)一緒に働く人を変え、(2)働く場所を変えているためです。したがって私の疑問を言い換えるのであれば、

 

 チョッパーは転職して、今、満足しているのか?

 

ということです。まず、データを見てみましょう。そもそも基本的に人は転職して「満足する人」の方が、「不満に思う人」より多い傾向にあると言われます。

 

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http://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/reason/140214/index

 

しかし、この数字は極めて「人材会社のポジショントーク(=誘導)」である可能性があります。すなわち、そもそも上記のデータには、転職しようか迷った、結果「転職しなかった。けど満足している人」の数字が入っていません。言い換えれば

 

 転職してよかったと思う人は確かに多いだろう。

 でも、現職にステイしたから幸せになれた人も多いかもしれない

 

ということです。すなわちチョッパーが転職して幸せだったかどうかを、本質的に考えるためには、こう言い換える必要があります。それは「どんな人であれば、ほぼ確実に、転職して幸せになれるか?」です。

 

結論からいうと、チョッパーはおそらく、転職したことによって幸せになれるタイプの人(?)だったと思います。その理由はシンプルで

 

 チョッパーは「異端児」だったから、

 

だと私は思います。そもそもチョッパーが村を出た理由は「どうしようもない理由から」でした。「鼻の色が他の人と違うこと」と「人間トナカイになったこと」でした。他のトナカイとは違うが、人間とも違う。それらを理由にいじめられていた。そこにルフィが訪れ夢を語り、力強く「一緒に働こうぜ」と語り、チョッパーは麦わらの一味に加わることを決意します。このルフィの行為は、もはや完全に採用活動における「アトラクト面接」です。

 

(参考)面談の4種類

・見極め面談 (=面接)(M)……候補者を評価するための面談

・アトラクト面談(A)……候補者を魅力づけ、志望度を高めるための面談

・調査面談(C)……インタビューや調査など、情報を獲得するための面談

・相談(S)……対象者の悩みや不満を聞き、信頼関係を構築するための面談

 

 

チョッパーが「島を出たい。転職したい」と思った理由は彼の身体的な違いであり、「同質化圧力」です。故郷にいて幸せになれた可能性は、極めて低かったでしょう。

 

転職は、平和をもたらすが、マクロの「生産力」は変わらない

 

ここまではチョッパーの視点、すなわち「求職者」の視点で語ってきました。次はもう少し視点をあげ、そもそも「転職」は、マクロの経済にどんな意味があるかという妄想を広げていきたいと思います。言い換えれば、チョッパーの転職は、ONE PIECEの経済にどんな影響があったのでしょうか?

 

これは社会学者の分析が役に立ちます。

 

かつて、フランスの社会学者・レヴィ=ストロースは、コミュニティ間の「社会的なつながり」について語りました。カリエラ族と呼ばれるオーストラリアの民族についての社会構造を分析した彼は、カリエラ族が異なる部族同士で結婚する制度をつくることに注目し、結果的に結婚が部族間での「社会的なつながり」を担保したと指摘しました。(つまり「結婚とは、異質なものを取り入れる仕組み」だということでしょうか)

 

そして私は、これは転職活動においても同様の効果があると思います。

思えば人が誰かを必要以上に攻撃するのは大体「相手のことをよく知らないから」に起因しています。転職というのはある意味で、A社・B社・C社間の人材の交換です。新しい血を取り入れるということは、「相手のことを知る」という意味で「社会的な繋がり」を強固にする効果があると考えられます。私は転職も同じ効果があると感じます。

 

一人当たりの売上は企業ごとのバラツキより、産業ごとの方がはるかに大きい

 

一方で、もう少し視点をあげると、転職というのは極めて面白く、“普通の転職”は国内の経済に与える影響は微々たるものです。まず、転職は一般的に「同業種間の転職」の方が、「異業種間の転職」より多いです。

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※   転職の44%が同業種間の異動で、他業種間の異動(38%)より多い。http://www.works-i.com/pdf/150323_wp2014.pdf

 

ですが、これは国内の生産性を上げる“経済的効果”はほとんどありません。なぜなら経済(GDP)は、会社間の違いより、「産業単位のばらつき」に影響を受けるからです。すなわち半数以上の転職は経済へのインパクトは微々たるものだということです。(これは詳しくは「アロケーション仮説」をご覧ください。)

チョッパーの例でいうと、彼が生まれた「ドラム島」から、海賊になったことは業種が異なるため、ONE PIECEの世界のGDPに影響を与えます。一方で

 

 麦わらの一味に入ろうが、黒ひげ海賊団に入ろうが、GDPへのインパクトはそんな変わらない

 

ということです。これがマクロで見た時の「チョッパーの転職活動」です。

 

「村からはぐれた”次のチョッパー”」を連れてくる仕事以外は、「AI」で代替される

 

それでも、私がルフィが優れた「人材エージェントである」と語る理由は、彼の「人事としての価値」が極めて高いことにあります。

 

一般的にベンチャーリファラル採用(紹介による採用)を多く活用していますが、大企業の多くは「人材エージェント」を使い社員を獲得しています。そんな「人材エージェント」の付加価値はどこにあるのでしょうか? 

 

それは結論からいうと、

 

 組織の「異常値」である一匹狼を捕まえてくること

 

だと私は思います。人材エージェントに対して、ネットではたまに「自分が行きたい企業よりも、エージェントが勧めたい案件をゴリ押しされる」という不満がつぶやかれます。

これは言い方が悪いですが当然で、求職者がコモディティだからです。今はまだ心あるキャリアアドバイザーが存在しますが、今後はAIの発展によって普通のマッチングが自動化されていくのは間違いないでしょう。「人材エージェント」の産業も「付加価値があるフィールド」のみに集約され、他はAIで代替される。

 

では、AIで代替されづらい部分はなにか? その1つは異常値、すなわち「次のチョッパーを採ること」が、人間がやるべきことになっていくと考えます。異常値は過去のサンプル数が少なく機械学習が進みにくいと思われるからです。

 

つまり

 

 ルフィは、チョッパーというコミュニティの「異常値」を見つけ、引っ張ってきた。

 
 

だから、私はルフィは類まれなる「人材エージェント」だと思ったのです。

 

1匹狼たちは「新しい産業」を生み出し「組織に多様性」をもたらす

 

さて、そろそろ終わりにします。

何が言いたいか?

 

それは「人材エージェントの未来の社会的価値」についてです。私自身は人材会社が割と好きなのですが、あえて価値を語るなら、この1点のみだと思います。

 

 同調圧力で潰れてしまいそうな「優秀な人」を見つけてあげること

 

チョッパーはフィクションの世界の生き物ですが、実際には彼のような人材はどの会社にもいます。身体的特徴や生まれ、考えなど自分自身ではどうしようもない部分で同調圧力を受けてきた「才能のある人」、その人材を見つける。それこそ人材エージェントの本質的な社会的な価値だと思うのです。

 

そしてそういう「異端児」と呼ばれる人材は、新しい航海に出かけて、大海原に広がる大秘宝を見つけ、社会に大きな変革につなげる可能性をもっています。ただ、私が語っているのは“ルフィ”ではありません。ルフィのような存在は、人材エージェントがなくても、自らの力で声をあげ、立ち上がります。一方でチョッパーは誰かの一声が必要だった。彼のような存在を見つけ、発掘すること、それこそが今後の人材エージェントの唯一の社会的価値だと私は思うのです。